グリム童話より
木のおさら
昔、ひとりのおじいさんが息子夫婦と一緒に暮らしていました。おじいさんは 耳は遠く目はかすみ、足腰も弱りきっていたので満足に歩くこともできなくなっていました。ですから食事をするときも、スプーンを持つ手が ぶるぶる震えて洋服やテーブルクロスにこぼしてばかりいました。息子夫婦はそんなおじいさんが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
「どうしてそう、いつもいつもこぼしてしまうの,少しは気をつけてちょうだいな。おじいさんと一緒に食事をすると、胸がムカムカして食欲がなくなってしまうわ」
「父さん、もっとしっかりスプーンを握らなきゃダメじゃないかほら、スープが口からこぼれているよ 本当にだらしないなぁ」
おじいさんはわざとこぼしているわけではないし、スプーンだってしっかりと握っているつもりだし、洋服だってテーブルクロスだって汚したくなんかないのです。でも、手が震えてしまうのです。しっかりと握れないのです。おじいさんは黙っているしかありませんでした。
ある晩のことです。おじいさんがいつものように食事をしようとすると「おじいさんは今晩からあっちで食事をして下さいね」と、お嫁さんが部屋の隅を指差して言いました。見るとおじいさんの椅子だけがちょこんと、部屋の隅っこに置いてありました。おじいさんは仕方なく部屋の隅っこに座りました。「はい、おじいさんの食事ですよ」お嫁さんは、スープをほんの少しと一切れのパンを粗末な小さいお皿に一緒によそって持ってきました。「これだけかい?」おじいさんが尋ねると息子が言いました。「年寄りがたくさん食べるなんて体によくないよ」おじいさんは時折、息子夫婦のテ-ブルに目をやり涙で目を潤ませながら悲しそうに食事をしました。
それから何日かたったある晩おじいさんは、お皿を割ってしまいました。手が震えるものですからお皿をしっかり持てずに床に落としてしまったのです。お嫁さんはひどく怒りました。息子が言いました「割れないお皿を使わせよう」お嫁さんが言いました「安い木のお皿で十分よ」次の日早速お嫁さんが安い木のお皿を買ってきました。おじいさんは今度からそのお皿で食事をするように言われました。それから何日か過ぎた晩のことです。いつものようにみんなが食事をしようとテーブルにつくとおじいさんの椅子の横で孫が一生懸命に何かを作っていました。お母さんがそれを見て尋ねました。「何を作っているの?」「あのね、餌入れをつくってるの」お父さんが尋ねました。「餌入れ?」「うん、僕が大きくなったらお父さんとお母さんにこれで食べてもらうんだ、買ってこなくても大丈夫なように今から作っておくんだ」子供は無邪気な笑顔で言いました。息子夫婦ははっとして顔を見合わせました。自分達のおじいさんに対する態度が子供の目にはどう映っていたのか、二人の目から涙がこぼれました。そして、おじいさんの手を取ってテーブルに連れてきました。
それからは夫婦ともども、おじいさんをいたわり、仲良く暮らしました。人は誰でも年老いていきます。そして年を取ると、目が良く見えなくなったり、耳が遠くなったり、足腰が弱って歩くことにも不自由するようになったりします。歯が抜け落ちたり顔には深いしわが刻まれていきます。しかし、それは私達の前を歩き道を切り開くために体を頭を酷使した結果なのです。たくさんのいろいろな経験を積み、人生を歩んできた証なのです。
子供は親や周りの大人の背中を見て成長していきます。自分がしたことは良いことも悪いこともみんな自分に還ってくるのです。人に親切にすればきっと困ったときには誰かが親切にしてくれるでしょうし、反対に、人に意地悪をすればきっといつか自分も同じ目にあうでしょう。