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シリーズ 「私の入信記」 ep.2

アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イッラッラー アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー

勉強会に参加するようになって、半年経ちました。先日、ついにシャハーダをしました。遅くなってしまったのかもしれませんが、いくら外から勉強しても結局わかりきることは出来ないんだ、ということがやっとわかったからです。

例えば目の前にコップに入った水があって、それを外から見ることで知識を学ぶことは出来ても、水というものに触れたことが無い者にはその触感、存在を真実に理解する事が難しいように。ただ手を伸ばして触れればいいだけなのに。それだけで100の言葉よりも雄弁に真実は語るでしょう。

それと同様、礼拝をせずにアッラーのことを考える事の限界を感じました。

いろいろなことを考えすぎて、新しい自分になることを恐れていた部分も否定できません。

シャハーダをする前日、(当初)史上最大といわれた台風が東京にやってきました。私の会社はビルの13階にあるのですが、ものすごい風でミシミシと聞いた事のない音をたてました。以前なら、そんな近代的なビルの安全性を無条件で信じ込んでいましたが、昨年の衝撃的な映像が頭に浮かんでしまいました。人間の作ったものに「絶対」なんてないということです。

ああ、シャハーダするって決めたんだったらさっさとするんだった、シャハーダする前日に死んじゃったらどうなっちゃうんだと後悔をしました。友人が、決心した時にあいだを置かずシャハーダしたほうがいいとアドバイスをくれたのはこういう理由もあるんだ、と遅まきながら知りました。

台風で電車が止まり、その夜はタクシーで帰宅したのですが、タクシーの中で見た景色は多分一生忘れられないものでした。ひどかった雨は上がり、強風だけがふきすさんでいました。でも、車の中はとても静かで、木の枝の激しい動きや、雲の流れの速さを見ることだけが外の嵐を感じさせました。大きな川にかかる橋を渡るとき、ふと空を見上げると、黒々とした雲と明るい夜空が見えました。

激しい雨と風は、空の汚れをぬぐいさり、その名残の黒い雲も今まさにどこかへ押しやられようとしていました。さっきまでの荒れ狂う空が嘘のように、明日の晴れやかな空を確信させる夜空でした。普通の夜なら、今いくら晴れていても明日の朝の天気はわからないものですが、台風の過ぎ去った今夜だからこそのはっきりとした確信でした。明日は絶対に絶対に美しい秋空が広がるんだ、この雨と風にすべてをぬぐいさられたまったくの新しい日がはじまるんだ。そして、その新しい日が私のシャハーダの日、第2の誕生日なんだと思うととてもとても嬉しくなりました。台風一過の澄み切った明日の空を思い浮かべて、静まり返った車内から、勢い良く流れていく黒い雲を眺めていました。暗い雨の日もかぐわしい秋の晴れた空も、すべてを受け入れることが自然とできるような気がしました。

シャハーダのあと、初めてした礼拝は私にとってとても素晴らしい体験でした。

生まれて初めて額づいたその時、額をつけた道筋のずっとずっと遠い先にアッラーの存在がある、と実感しました。

そしてもう一つ嬉しかった事は、ドゥアーです。私の心は残念ながら狭いので、今までの人生で人の幸せを心から願ったりすることがあまりありませんでした。自分のことばかり考えて生きてきました。でも、初めての礼拝の時、親しい人達の顔が次々と浮かび、彼らの幸せを心から願う事ができました。これはとても心安らぐ事でした。それからも、友人たちや、今日知り合った人、心に浮かぶ人達の為に祈る事の喜びを感じています。

1日5回の礼拝の義務の理由もわかりました。私という人間一人の一回の礼拝があろうがなかろうが創造主にはなんの必要もない(完全な存在はそれだけで完全に存在しうる)のですから、この義務は私にとっての恩恵だという事です。生来自分に甘く弱い人間の私が、きちんとアッラーと向き合う時間を毎日保ち、報酬を得られるように、アッラーが下さったのだということがやっとわかりました。

始まったばかりですが、あの日見た空と、私の人生の全てが生まれ変わる素晴らしい確信の感動を忘れずにいきたいと思っています。

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