恵みをもたらすもの  第2回(完)


「恵みをもたらすもの」

第1回のつづき。。

第1回はこちら↓

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8―タワックル:ギュレン師の解釈によるとタワックルとは、要因、媒介となる範疇においては不足なくそれらの要因を尊重し、その先では限りのない力の持ち主であられるお方アッラーが私たちの上に及ぼされるものを待つことです。要因を試みる一方で、それらに真の影響力があると見なしてはいけません。「アッラーを信頼する者には、かれは万全であられる」(離婚章65/3)よく知られたハディースでアッラーの使徒はとても素晴らしく表現されておられます。「もしあなた方がアッラーへと、そのお方にふさわしい形で向かうことができていたら、朝その巣から空腹のまま離れ、夜には満腹して戻る鳥たちに糧を与えられるように、あなた方にも恵みを与えられていたことだろう」

9―相談すること、イスティハーラを行うこと:重要な仕事においては、それをよく知る人に相談すること、さらに必要であればアッラーにイスティハーラ(正しい道を選択するためや、決意をするための導きを求める祈り)を行なうことはとても重要です。そしてアッラーがしもべのために選ばれたことを受け入れ、満足するべきなのです。疑いもなく、アッラーが選ばれたことは現世と来世の幸福のため、私たちの自我が行なう選択よりもずっと有益なのです。

アッラーの使徒は私たちにイスティハーラを教えられました。ナーフィラ(義務ではないもの)として2ラカートの礼拝を行ない、続いて次のようにドゥアーすることを命じられています。「アッラーよ!あなたの知識により、あなたからよいものを求めます。あなたの力により、あなたから力を求めます。あなたの偉大なる恩恵を求めます。なぜならあなたの力は十分なものであり、私の力は不十分であるからです。あなたはご存知であられ、私は知りません。あなたは見えない事柄を正しくご存知です。

わがアッラーよ、この仕事がもし、あなたの知識において、私の教え、現世、生涯、結果という点でよいものであれば、それを私に授け、容易にしてください。そしてそこで私に恵みをお与えください。もしこの仕事があなたの知識において私の教え、現世、生涯、結果という点で私にとって災いであるのなら、この仕事を私から遠ざけ、私をもこの仕事から遠ざけてください。よいものが何であれそれを私に授けてください。それによって私を喜ばせてください」

10―足るを知ること、倹約、満足:「誰であれ何かを必要とし、それを人々から求めれば、その必要性はあまり満たされることがない。それをアッラーに訴え求めれば、アッラーは彼に、即座に、あるいは後で、豊かさを与えられる」「財産を求めるのであれば満足することで十分である。そう、満足する者は倹約を行い、倹約する者は恵みを見出す」「倹約は精神的な神への感謝であり、かつ、恵みにおける神の慈悲への敬意であり、かつ、確かな形で恵みへの要因となる」

11―援助、サダカ:経済援助やサダカは、恵みがより豊かなものとなる最大の要因の一つです。言ってやるがいい。『本当にわたしの主は、そのしもべの中から御心に適う者に、御恵みを豊かに与えまた或る者には乏しく授けられる。かれはあなたがたが(主の道のために)施すものはすべて返される。かれは最も優れた御恵を与える方であられる。」(サバア章34/39)聖ハディースでは次のように言われています。

「人間よ、人に糧を与えなさい。私もあなたに糧を与えよう」ベディウッザマン師の確証はこの項目に有意義な援助となっています。「しかしザカートは各人にとって恵みの要因であり、災いを退けるものである。ザカートを支払わない人は、ザカートと同じ程度のものをその手から失う。不必要な場所に支払うことになるか、何か災難が襲ってきてそれを持ち去るのだ」

12―禁じられたものを避ける:ハラーム(禁じられたもの)のあらゆるあり方、全ての状態を避けることが必要です。なぜならハラームには恵みやよいもの、そして継続性はないからです。この事柄に関するクルアーンの句やハディースが多くあります。「アッラーは、利息(への恩恵)を消滅し、施し〔サダカ〕には(恩恵を)増加して下される」(雌牛章2/276)

13―恵みに対し感謝すること:感謝とは、あらゆるよいことに対して示される満足と恩を受けたという態度、そして人に与えられた感情、考え、体の器官などを、その創造の意図に応じて使うことを意味します。心や言葉によってそれを実践することができるように、あらゆる器官においてもそれを行なうことはできます。感謝は重要な行為であり、尊い資本であるにもかかわらず「だがわれのしもベの中で感謝する者は僅かである」(サバア章34/13)とされているように、真の意味でそれを実践する人のあまりいない行いです。

真の感謝は、恵みが完全に認識されることによって可能となります。「その時主は(ムーサーの口を通じて)宣告された。『もしあなたがたが感謝するなら、われは必ずあなたがたに(対する恩恵を)増すであろう。だがもし恩恵を忘れるならば、わが懲罰は本当に厳しいものである』」(イブラーヒーム章14/7)

14―日に五回の義務を続けること:礼拝は恵みの最大の源です。「またあなたの家族に礼拝を命じ、そして(あなたも)、それを耐えなさい。われはあなたに御恵みを求めない。あなたがたに恵みを与えるのはわれである。善果は主を畏れる者の上にある」(ターハー章20/132)

15―許しを請うことを忘れないこと:クルアーンは、預言者ヌーフの嘆きを語る際、この問題を明らかにしています。「わたしは言いました。『あなたがたの主の御赦しを願え。本当にかれは、度々御赦しなされる。かれは、あなたがたの上に豊かに雨を降らせられ、あなたがたの財産や子女を増やし、またあなたがたのために、様々な園や(水の流れる)河川を設けられる』」(ヌーフ章71/10-12)ウマルさま(アッラーが彼にお慶びくださいますように)が飢饉のため雨乞いのドゥアーを行いに出た際、許しを乞うことのみで十分としたため、周囲から「雨乞いのドゥアーをなされませんでしたが」という問いかけがなされました。彼は「私は、天の雨をもたらす扉を叩いたのです」と応え、この句を読まれたのでした。

ハサン・バスリの議場で、ある人が干ばつを訴えました。彼も「許しを乞いなさい」と応えました。他の人が経済的な困難さを、また別の人が子供ができないことを、また一人はその土地が不毛であることを苦しんで訴えた際にも、彼らに同じことをいいました。周囲の人がそれを奇妙にとらえた時、彼もまた、クルアーンのこの句を読んだのでした。

16―両親や目上の人への敬意:ベディウッザマン師は、両親や目上の人への敬意が恵みへの要因となることを『第21の手紙』で長いページを割き、詳しく述べています。「生計の悩みに取りつかれた者よ。知りなさい、あなたの家の恵みの柱、慈悲の媒介、そして災いを遠ざけるものは、あなたの家であなたが冷たくあしらっている老人、あるいは目も見えない親戚である。決して「私には余裕がない。面倒を見ることができない」といってはならない。

なぜなら彼らのおかげでもたらされる恵みがなかったとすれば、必ずあなたの生計の苦しみはよりひどいものとなるだろうからだ。さらには、年老いた親戚だけではなく、恐らくは人間への友とされ、その糧も人間の糧と共に贈られている猫のように、一部の被造物の糧すら、恵みという形でもたらされる。もしあなたが来世を愛するのなら、あなたに尊い秘宝を;彼らに奉仕し、その満足を得なさい。もしこの世界を愛するのなら、やはり彼らを満足させなさい。彼らのおかげであなたの生活は容易になり、糧は豊かになるだろう」

短い文章の中に詰め込もうと試みたこのテーマは、本来もっと詳しく語られるべきものです。なぜなら「恵みをもたらすもの」というこのテーマには、より詳細な側面もあるからです。例えばそれが一つの試練であるという次元は、言及されるべき一つの側面でしょう。ただクルアーンの句とハディースの灯りによって、簡単にふれてみたに過ぎないのです。

ただ、イスラーム教徒の最初の三代と私たちが呼ぶ偉大な人々の生き方において、私たちに託されたいくつかの恵み多い言葉のうちにこれらを把握するべく努めることも必要だったでしょう。神が私たちの生に恵みを与えてくださいますように。私たちの仕事をよいものとしてくださいますように。現世と来世において益を得ることができるよう、私たちを助けてくださいますように。

#勉強シリーズ

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