善における競い合い

 大なり小なり(道のため)費やしたもの、また一つの谷を越えたことが、必ずかれらのために記録されている。アッラーはかれらの行ったことに対して、最上(の報奨)をもって報われる。(悔悟章第121節)

 解釈はこの章が下された理由としてウスマーンさまの献身に触れ、その出来事を伝えています。ムータの為の遠征がなされた時代でした。この過酷な対戦の為、軍が整えられているところでした。非常に困難な条件のもとで兵の装備が整えられたことから、この軍には「困難の軍」という名がつけられています。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、何度もそうであったように、ここでも、教友達に支援を求められました。説教を行なわれつつ、アッラーのご満悦の為に財産を差し出すこと、犠牲を払うことについて人々に奨励されたのです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)がその説教を続けていた時、人々の中から一人が飛び出してきました。これがウスマーンさまでした。「アッラーの使徒よ!私から、荷物と共に100頭のラクダを!」と言っていました。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はその説教を続けられていました。しばらくしてウスマーンさまは再び立ち上がり、「アッラーの使徒よ!私から、その荷と共にさらにもう100頭のラクダを!」と叫びました。預言者ムハンマドは説教台から降り、奨励を続けてられいました。ウスマーンさまは再び沸き立ち、再びその場から飛び出してきて「アッラーの使徒よ!さらに100頭のラクダを!」と言ったのでした。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はとても満足されました。その聖なる手を左右に振られ、「ウスマーンは、今後行なうことの勘定を問われることは一切ない。」とおっしゃられたのでした。

 そう、このように預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、時に生じる必要性の為、教友達から支援を求められ、彼らに施すことを奨励されたのでした。

 またアッラーの道のために(あなたがたの授けられたものを)施しなさい。だが、自分の手で自らを破滅に陥れてはならない。また善いことをしなさい。本当にアッラーは、善行を行う者を愛される。(雌牛章195節)

 あなたがた信仰する者よ、われがあなたがたに授けた糧を取引もなく友情もなく、執り成しもない日の来る前に(施しに)使え。信仰を拒む者は、不義を行う者である。(雌牛章254節)

 見よ、あなたがたは、アッラーの道のために(所有するものの一部の)施しを求められるのである。それなのにあなたがたの中には、貪欲な者がいる。だが貪欲な者は、只自分の魂を損うだけである。アッラーは自足されているが、あなたがたは貧しい。もしもあなたがたが背き去るならば、かれはあなたがた以外の民を代りに立てられよう。それらはあなたがたと同様ではないであろう。(ムハンマド章第38節)

 かれらが仮令アッラーと最後の日を信じて、アッラーがかれらに与えたものから施しても、かれらにとり何の負担になろうか。アッラーはかれらをよく知っておられる。(婦人章第39節)

 だから心を尽してアッラーを畏れ、聞きそして従い、また(施しのために)使え、あなたがた自身のために善いであろう。また自分の貪欲に用心する者、かれらは繁栄を成就する者である。(騙し合い章第16節)

 どんな訳であなたがたは、アッラーの道のため施さないのか。本当に天地の遺産の相続は、アッラーに属する。(鉄章第10節)

 自分の財を、夜となく昼となく、人目を避けて、またあらわに施す者は、主の御許から報奨が下される。かれらには恐れもなく憂いもない。(雌牛章第274節)

 あなたがたは愛するものを(施しに)使わない限り、信仰を全うし得ないであろう。あなたがたが(施しに)使うどんなものでも、アッラーは必ず御存知である。(イムラーン家章第92節)

 信仰するわれのしもべたちに告げなさい。「礼拝の務めを守り、取引も友情も果たせない日が来る前に、われが授けたものから、密かにまた公に施しなさい。」

 これらの者は、アッラーの御名が唱えられる時、心は畏怖に満ち、遭遇することによく耐え忍び、礼拝の務めを守り、またわれが授けたものを施す者たちである。(巡礼章第35節)

 ウマルさまが語られています。「ある時預言者さまは私達に何かを差し出すことを求められた。その当時、私の状態はよく、施すことのできるものが私にはあった。『そうだ!』と私は独り言を言った。『私がもしアブー・バクルを超えるなら、今日越えることができるだろう。他ではもう無理だろう。』こういうことを考え、機嫌よく私は家に着いた。そしてそこにあるものの半分を持って出た。持ってきたものを預言者さまの前に置くと、『家の者に何を残したか。』と尋ねられた。私も「いくらかのものは残しました。」と応えた。『何を残したのか。』と再度尋ねられた。「ここに持ってきたものと同じくらいのものを。」と私は応えた。私はそこでも、アブー・バクルを超えることはできなかった。彼は自分が持っている全てのものをそこに持ってきていた。預言者さまの『家の者に何を残したのか。』という問いには、『アッラーとその使徒を。』と応えたのだ。それを見て、彼を超えることなど絶対にできないと私は理解した。」

 これは善における競い合いでした。全ての教友が、献身という叙事詩を書いていました。女性達もその競い合いに遅れをとってはいませんでした。ある時、アッラーの使徒は礼拝の後、女性達のいる側に行かれました。そこでいくつかの忠言を行なわれた後、所有しているものからサダカを与えることを求められました。それを聞くや否や女性達はネックレスやピアス、ブレスレットなどを外し始めました。そしてそれを外し、預言者ムハンマドのそばにいたビラールさまの服のすそに投げたのでした。

 またある時、遠方から貧しい信者達がやってきました。モスクで寝起きするようになりました。食べるものは何もありませんでした。すぐに援助の為の組織が整えられました。皆、自分の持てる力に応じてそれに参加していました。その結果としてモスクの中央には施し物の小さな山ができました。そして貧しい信者達の必要とするものが与えられたのでした。

 アブドゥッラー・ビン・マスードは語っています。「サダカの章句が下されると、私達は運搬の仕事をして何か施しをしようと努力していた。市場に出かけ、そこで荷物を背負った。その賃金を受け取るや否やそれを施す為に走った。状態がよく、たくさん施している人もいた。ある時預言者さまがアンサール(マディーナのもともとの住民で聖遷で移住したムスリムを助けた人々)と移住者達に支援を要求されていた。どこかに遠征に行く為に軍の装備が必要となったか、あるいは何か別の必要性の為に、『差し出してください!』と言っておられた。預言者さまの奨励に対し、アブドゥルラフマーンはいつものごとくの勇敢さで応じ、『アッラーの使徒よ。私は4000ディルハム持っています。それを受け入れてください。』と述べた。預言者さまは非常に満足され、その善の為にドゥアーされた。その間にも支援する人はそれを行ない、皆この善い行いのキャラバンに加わることを望んでいた。その一人がアンサールで貧しい信者であったアブー・アキルだった。手に二杯のナツメヤシ以外には何も持っていなかった。手に一杯分を家族に残し、もう半分を支援の財産に加えたのだった。」

 諸文献に多く見られるこの出来事は、幸福の時代においてはいつもの、普通のことだったのでした。私達ももし、この世紀を幸福の時代としたいのであれば、主の永遠なる勅令に耳を傾け、この文化を力強く生かすべきなのです。

「それで互いに凡ての善事を競え。」(雌牛章第148節)

「だから互いに競って善行に励め。」(食卓章第48節)


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