真のイスラームにおいてテロというものは存在しない
先日のベルギーで発生した連続テロ犠牲になられた方々、ご親族、ご友人の皆様に心から哀悼の意を表します。世界中で起きているテロ、暴力行為、争いに対し、大きな悲しみや喪失、傷ついた人々の心に癒しがありますように。憎しみや怒りからから更なる暴力、争いの連鎖にならぬよう、アッラーのご加護を求めます。
イスラームの名のもとに、アッラーの名のもとに、無実な人々に対して、卑劣な暴力行為を行うことを、私たちの宗教イスラームでは禁じています。このようなテロ行為に対し、強く非難します。
アッラーが我々の心に本物の英知を授けてくださいますように。そしてその神聖な意志と反する矛盾した行為からお守りくださることを祈ります。我々すべてが預言者様(彼に祝福と平安あれ)の道を歩み、彼の道から逸れずに歩んだ人々の模範に従うことができるよう、アッラーのご加護を求めます。アーミン。
「真のイスラームにおいてテロというものは存在しない」
今日、多くの国々でイスラームの本質は誤解されています。ムスリム は表に出て叫ぶべきです。「真のイスラームにおいてテロというものは 存在しない」と。なぜならイスラームにおいては、正当な理由なく人を 殺める者は無神論者と同一視されるからです。基本的に人を殺すことは 許されていないのです。戦争状態にあるときでも、罪の無い人々に対し ては、軽く手を触れることすら許されていません。この点に関しては、 誰もイスラームに適っていると宣言すること(ファトワを出すこと)は できません。誰も自爆テロリストになることを許されていません。誰も 身体に爆弾を巻きつけ、無実の人々の中に飛び込むことを許されていま せん。その集団がどの宗派に属するものであったとしても、許されては ならないのです。戦争状態ではルールは破られがちですが、それでも非 戦闘員を殺すことは許されていないのです。預言者ムハンマドは、「子供たちを傷つけるな、教会で祈りを捧げる者たちに触れるな」と仰いました。これはただ1度言われるだけではなく、歴史上何度も繰り返され ました。預言者ムハンマドによって語られたことは、アブー・バクル(第 一代カリフ)によっても語られ、アブー・バクルが語ったことは、ウマ ル(第二代カリフ)によっても語られ、ウマルが語ったことはその後の 時代においてサラーハッディーン・アイユーブ(アイユーブ朝の創始者) によっても語られました。それはアルプ・アルスラン(セルジューク朝 第二のスルタン)によって、そしてクルチュ・アルスランによって語ら れ、ファーティヒ(イスタンブールを征服したメフメット2 世)も同じ ことを語ったはずです。そうして語り継がれてきたのです。だからこそ、 秩序の無い混沌としたコンスタンチノープルはイスタンブールとなり得 たのです。つまり、ギリシャ人もアルメニア人もお互いに干渉すること はありませんでした。ムスリムも彼らに何ら危害を加えることはありま せんでした。イスタンブールが征服された後、ギリシャ聖堂にはファー ティヒの大きな肖像が作られました。当時はこういった雰囲気だったの です。ファーティヒはギリシャ聖堂の神父を呼び、聖堂の鍵を渡したそ うです。ギリシャ正教の信者たちは当時を懐かしんでいます。当時はあ らゆる思想が尊重されていました。しかしながら今日、イスラームの理解においても欠陥があります。
大変残念なことですが、イスラーム世界にはごく一部の狂信的なイマ ーム(大小の共同体を指導する統率者)たちや、粗野なムスリムたちが利用できる他の手段がありません。イスラームは真実の宗教であり、ム スリムは正しく生きる必要があります。その道程にあって、狂信的な手 段をとることは決して正しくありません。目的が正しければ、その目的 に到達するための手段も正しくなければなりません。こうした観点から、 イスラームでは殺人を犯して天国に行くといったことはありえないので す。 ムスリムが、「さあ、これから自分は人を殺して天国に行こう」と いうことは明らかに間違っています。人の命を奪うことによってアッラーの承認を得ることはできないからです。一人のムスリムにとって最も 重要なことはアッラーの承認を得ることです。アッラーの偉大なる御名 を世界へ轟かせることなのです。
イスラーム法は明解です。戦争は個人が宣言できるものではありません。また、開戦を一派閥や組織が宣言することはできません。戦争とは 政府が宣言するものです。首相が、あるいは一軍隊が開戦を宣言してい ないのに戦争へと突入できないのです。そうでなければ、めいめいがそ れぞれの理由で戦争を始めてしまいます。ある者が数人の略奪者を集め て、戦争を起こし出してしまう。すると他の誰かも、また別の略奪者た ちを集める。そうして勝手に、自分はこれこれこういった人に対して宣 戦布告をする、と主張して戦争を始めてしまったらどうなるでしょう。 また、キリスト教に対して寛容な人に、「奴はキリスト教に協力してい る。イスラームを軽視している。奴は殺してしまわなければならない。 戦争だ」と個人的な感情から戦争を始めては、人の数だけ戦争が起きてしまいます。このように、政府が宣戦布告しない限り、戦争は始めるべ きではないのです。戦争というものはそれほど簡単なものではありませ ん。もし誰か、そう、私が最も敬愛する学者が言ったとしても、それは 正しくはありません。なぜならそれは、イスラームの理念に反するもの だからです。イスラームでは平和と戦争に関する法が明確に示されているからです。
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