クルアーンを読誦すると、天からサキーナが降りてくる


サフル イブン ムアーズ アル ジュハニー(アッラーがお慶び下さいますように:以下r.a) が伝えるところによると、「預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ:以下S)がおっしゃるには「クルアーンを誦み、それと共に行為する者は誰でも、審判の日その者の父親に冠をかぶせるだろう。その冠の輝きは、この世で太陽の光が家を照らすよりももっと光り輝く。そうであるなら、クルアーンと共に自ら行動する者達の光はどのようなものかあなた方は想像できますか?』」(アブーダーウード礼拝39)」

聖アリー様(r.a)が伝えるところによると「ある者がクルアーンを誦み、暗誦し、合法な事を合法として受け入れ、非合法なことを非合法として受け入れるなら、アッラーはその者を天国へ入らせ給う。さらに、地獄行きと決められた者をその者の家族から10人を執り成し給う。』」(ティルミズィークルアーンの報奨13)

ウサイド・ブン・フダイルが夜、馬を繋いで「牝牛」の章を唱えていた時、突然馬が飛び跳ね、彼が唱えるのを止めると馬が静まった。次にまた唱えた時馬は跳びはね、止めると静まり、三度目に唱えたときも飛びはねたので唱えることを止めた。その時馬の傍にはウサイドの息子ヤフヤーが居たので、彼は馬が子どもに跳びかかるのではないかと心配して馬から遠ざけ、空を仰いだが、そこには何も見えなかった。翌朝、ウサイドがこのことを預言者様(S)に話した時、彼は「ウサイドよ、構わず唱えよ。」と二度繰り返して言った。そこでウサイドが「でも、私は馬が息子を踏みつけるのではないかと心配で、彼のところへ行き、ふと空を仰ぐと覆いのようなものがあり、その中には光が点っていましたが、やがてそれは消えて見えなくなりました。」と話したとき、預言者様(S)は「これは何かわかるか」と尋ね、彼が「いいえ、わかりません。」と答えると、預言者様(S)は「これは御前の声を聴くために近づいてくる天使なのだ。もしお前がずっと唱えつづけるならば、朝には皆がその姿を見るであろうに」と言った。(ブハーリー、クルアーンの功徳、15)

アルーバラーゥによると、或る男が、自分の傍に馬を二本の綱で繋いで「洞窟」の章を唱えていたとき、雲が空を覆い、近づいてきたので、馬は逃げた。翌朝、その男が預言者(S)のところへ行ってこれを話すと、彼は「これはコーラン(クルアーン)をもたらした『サキーナ』(聖霊という形をとった神の臨在を表わす)である」と言った。(ブハーリー、クルアーンの功徳、11)

そう、これがクルアーン・・・クルアーンを読誦すると天使達やサキーナがそれを聴くために、天から地上へ降りてくる。それを誦み、その命に従い、生きる者達に、太陽よりもさらに耀く冠を被せられるのだ。さらにこの者は地獄へ行く状況にある親戚の者達に執り成しの原因となる。そうであるなら、なぜ私達は聖なるクルアーンを学ぼうとしないのであろうか?なぜ命令を実行し、この世とあの世の幸福を手に入れることを望まないのであろうか?この事について、まず始めに子ども達に留意すべきであるが、これを始めるにあたって、年齢制限はない。特にイスラームを代表する者達はクルアーンを誦むことを学ばなければならない。「この年でもまだおぼえるのですか?」と言うのは自我と悪魔の罠に落ちることになる。このような言葉にもう惑わされぬように。これは大変誉れ高きことでありる。さらに申せば、私達の義務の一つには、他の人々にクルアーンを教えることもある。もし私達自身が知らぬのなら、私達はどのように教えることができるだろうか?

クルアーンの言葉は他だ表面的に読むだけでは十分ではない。その意味をさらには、その解釈も学ぶ必要がある。(注:日本でも、クルアーン解説の本が出版されています。)

忘れることなきように、、預言者様(S)は聖なるクルアーンの功徳についてこのようにおっしゃられた。「『将来、闇夜が砕けた散ったような混乱が起こるだろう。』教友達の一人がこのお言葉に対して、『おおアッラーの御使い(S)よ、それからの救いは何でしょうか?』と尋ねられた。彼がお答えになるには、「至高なるアッラーの御言葉でわる。(なぜなら、クルアーンには)あなた方の以前に来た者達への報せや、あな方の後に続く者達への報せそしてあなた方に関する英知が多々ある。それは戯れのものではなく、真理と迷信を区別する神の御言葉である。それを傲慢に、否定するものの腰をアッラーは折られる。ある者が正しい道をそれ以外に探し求めるなら、アッラーは彼を堕落させ給う。それ(クルアーン)はクルアーンの強固な綱である。それは明白な光である。英知に満たされた想念(ズィクル)である。正しき道である。自我の欲求により道を踏みはずさず、考えを迷わさぬための唯一の守りはそれ(クルアーン)である。学者達はそれを求め続ける。アッラーを畏れ、罪を犯す事から遠ざかる者達は、それに厭きる事はない。その知識を知る者は前進し、それと共に行為する者達は報奨を勝ち得る。それによって統治する者は、公正でありえる。それ(クルアーン)に健康に結びつく者は正しい道を見出す。』」(アフマド ブン ハンバル、マムナド)

そう、これがクルアーンである・・・そうであるなら、なぜ私達は立ち止まっているのだろうか?(直ちになぜクルアーンを読まないのだろうか?)


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