あなたがた信仰する者よ、
忍耐と礼拝によって助けを求めなさい。
本当にアッラーは耐え忍ぶ者と共におられる。 (雌牛章153節)
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
慈悲あまねく慈愛深き御方、
最後の審きの日の主宰者に。
わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
わたしたちを正しい道に導きたまえ、
あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。(開端章)
かれこそは、雨を天から降らす方である。われはこれをもって凡てのもの(植物)の芽を萌え出させ、次に新緑(の群葉)を出させ、累々と穀物を実らせる。またナツメヤシの莢から、(重く)垂れ下がった房(を生え出させ)、またブドウ、オリーブ、ザクロ等、同類異種の果樹(を育てる)。その果実が結び、そして成熟するのを観察しなさい。その中には本当に信仰する人々への印がある。(家畜章99節)
心に残るクルアーンの節
聖クルアーンは、アッラーが私たちに送った神の言葉です。
一節一節から、アッラーの恩恵の深さと偉大さを熟考する機会となりますように。
聖クルアーンからの抜粋を紹介しています。
本当に困難と共に、安楽はあり、本当に困難と共に、安楽はある。(胸を広げる章5-6節)
自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。
また自分のために悪いことを、好むかもしれない。
あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。(雌牛章216節)
われは本当に(しもべたちの)近くにいる。
かれがわれに祈る時はその嘆願の祈りに答える。 (雌牛章186節)
アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない。
(人びとは)自分の稼いだもので(自分を)益し、その稼いだもので(自分を)損う。
「主よ、わたしたちがもし忘れたり、過ちを犯すことがあっても、咎めないで下さい。
主よ、わたしたち以前の者に負わされたような重荷を、わたしたちに負わせないで下さい。
主よ、わたしたちの力でかなわないものを、担わせないで下さい。
わたしたちの罪障を消滅なされ、わたしたちを赦し、わたしたちに慈悲を御くだし下さい。
あなたこそわたしたちの愛護者であられます。不信心の徒に対し、わたしたちを御助け下さい。」(雌牛章286節)
本当にアッラーは、御好みの者を迷うに任せ、悔悟してかれに返る者を導かれる。
これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心の安らぎを得る。
アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。(雷電章27-28節)
順境においてもまた逆境にあっても、(主の贈物を施しに)使う者、
怒りを押えて人びとを寛容する者、
本当にアッラーは、善い行いをなす者を愛でられる。(イムラーン家章134節)
悔悟して善行に勤しむ者は、本気でアッラーに悔いている者である。
嘘の証言をしない者、また無駄話をしている側を通る時も自重して通り過ぎる者。
また話題が主の印に及べば聾唖者か盲人であるかのように、戯らに知らないふりをしない者。
そして、「主よ、心の慰めとなる妻と子孫をわたしたちに与え、主を畏れる者の模範にして下さい。」と(祈って)言う者。
これらの者は、その耐え忍んだことにより高い階位の住まいをもって(楽園の中に)報われよう。またそこで歓迎と挨拶の言葉をもって迎えられよう。(識別章71-75節)
7つの天と大地,またその間にある凡てのものは,かれを讃える。
何ものも,かれを讃えて唱念しないものはない。
だがあなたがたは,それらが如何に唱念しているかを理解しない。
本当にかれは忍耐強く寛容であられる。(夜の旅章44節)