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誤解されるイスラーム

 

女性蔑視

 

イスラームに対するマイナスイメージの一つに、女性蔑視、女性の地位の低さというものがあります。なかにはその象徴的なものとして一夫多妻制を指摘する人もいます。また実際にクルアーンの章句で女性の相続時の取り分が少なく定められていることがその理由として挙げられることもあります。預言者ムハンマドご自身の結婚についても批判的な見方で捉えられ、イスラームの教えそのものが女性蔑視を掲げているかのような見方がされることもあります。また一部の国で女児の教育が制限されていることを、その理由として挙げる人もいます。

 

 この事柄がイスラームについてどのように規定されているかという点を知る為には、実際のムスリムの行いだけではなく、クルアーンの言葉やハディース、スンナを見ることが必要となります。あるムスリムが女性蔑視的な態度を取っていたとして、その背景には様々な要因があります。イスラームを正しく学ぶ機会の乏しさから、その国の歴史的・政治的な背景、家族のあり方から個人の性格、その時の機嫌まで多くの要因があり得るのです。また一夫多妻や相続時の取り分などについて取り上げる際にも、その歴史的背景、なんとなくのイメージではなく実際のあり方を知る必要があります。さらに、外から見るムスリム男女の姿と、ある程度親しくなってからわかるその実際に大きな差があることもあります。外で会うとスカーフで身を覆って男性の三歩あとでうつむいているように見える女性が、実際に家の中では夫を尻に敷いていたりすることを知って驚いた経験がある人も多いかと思います。

 

 

1.預言者ムハンマドの言葉

 

~結婚生活について~

 

「あなた方のうち最も尊いのは、家族にとって最も尊い存在である人である」

 「信者のうち、信仰が最も完成されている者は、家族に優しく振る舞うものである」

 

 預言者ムハンマドは家族とは、宗教的な価値に基づいた健全な社会の基盤を形成するものと見なしていました。結婚を奨励する一方で同時にそれをより容易とし、配偶者たちが権利の侵害に苦しむことのないよう、保護的な規律をもたらしたのです。彼自身も一人の夫として、妻たちにとてもよい振る舞い、彼女たちの権利を保護し、決して粗暴な振る舞いをとることはありませんでした。夫婦は、喜びや悲しみを分かち合う、最も近い人同士です。預言者ムハンマドも夫として喜びや悲しみを妻たちと分かち合い、その意味で彼女たちに大きな価値を置いていました。様々な機会を通して男性が女性に、女性も男性に権利を持っていることを指摘しました。「かの女らはあなたがたの衣であり、あなたがたはまたかの女らの衣である」(雌牛章第187章)という章句で示されているように、女性と男性は互いを守り、世話をする責任があることを示しました。特に女性に対しなされる醜い粗暴な振る舞いを非難し、妻を殴る男性には「あなた方は何と言う形で妻たちを殴っているのか。」と非難し、警告してい

ました。

 

~女児の教育について~

 

 預言者ムハンマドは、女性への教育という点で模範を示されておられます。当時の条件の中で時折彼女たちを対象にして教え、時には妻たちを通して教育を行い、状況によっては男性が学んだことを家で妻たちに教えることを助言しておられました。

 一部の文献では、預言者モスクに女性たち向けの区間があったことが語られています。ここで女性たちはイバーダを行い、また預言者ムハンマドやアーイシャ、ウンム・サラマを始めとする妻たちから指導を受けていました。ブハーリーによると、預言者ムハンマドは週に一日を女性たちの為だけに用いられ、この形で彼女たちに新しいことを教え、質問に答えていました。(ブハーリー、イリム、87)当時、女性たちは学ぶ意欲を強く持っていました。女性が女性を教えるのみではなく、預言者ムハンマドがこの点に置いている重要性に気づいたサハーバたちは、娘たちの教育にも重きを置くようになっていきました。

 女性の取り分が男性の半分とされる理由として、扶養の義務を男性のみが持つことが挙げられます。イスラームにおいて扶養の義務は男性だけのもので、夫は自分の財産で妻と家族を養わなければならない、これにたいして妻の財産は妻だけのもので、夫や家族を養うところか、自分の生活のために使う義務さえないとされています。またイスラーム以前、アラブ社会では女性は相続権を与えられていませんでした。従って女性に相続権が認められたことは大きな意味を持っていたのです。

 

2.一夫多妻制について

 

 まず基本的な事実として、イスラームで「四人まで」と定められる以前には、当時のアラブ社会では制限なく男性は妻をめとることができたのでした。従って「もともと一夫一妻性のところを4人までなら何人とでも結婚できるようにした」のではなく、「無制限に結婚が行われていたのを4人までと定めた」というのが真実なのです。またその歴史的背景として、初期のイスラム社会では戦いによってイスラム教徒男性の戦死者が多かった、という点が挙げられます。そのため、イスラーム法ではイスラーム以前の無制限の一夫多妻制に、4人までという人数制限と、すべての妻を平等に扱うという規定によって一定の制約を与えた上で、戦いによって生じた寡婦を既婚者がめとることが奨励されたのです。

 またこの結婚については「それぞれを平等に、また十分に経済的に支えることができる場合」という条件がついています。従って大多数の人にとってその実現は非常に困難となります。経済力もない人が好き勝手に二人目三人目の妻を持つことはイスラームでは許されていないのです。

 

3.相続時の取り分について

 

 女性の取り分が男性の半分とされる理由として、扶養の義務を男性のみが持つことが挙げられます。イスラームにおいて扶養の義務は男性だけのもので、夫は自分の財産で妻と家族を養わなければならない、これにたいして妻の財産は妻だけのもので、夫や家族を養うところか、自分の生活のために使う義務さえないとされています。またイスラーム以前、アラブ社会では女性は相続権を与えられていませんでした。従って女性に相続権が認められたことは大きな意味を持っていたのです。

 

4.外見と実際

 

 イスラーム諸国で実際にムスリムの家に招かれた人、日本国内でもムスリムの知人友人の家に招かれた人の中には、外では黒いスカーフに身を包んでいた女性のカラフルな衣装や明るく元気な態度に驚いた人も少なくないかと思います。また以外に「かかあ天下」であることに気が付いた人も多いかと思います。筆者の夫もイスラーム国の田舎出身ですが、女性たちがたくましく夫たちを指示して食事の配膳を手伝わせたり、パン焼き釜まで重い生地を運ばせたりしている光景が当たり前でした。また筆者の今は亡き義父が義母に死なれた時に、人目をはばからずに(息子や嫁にあたる私たちの前ですら)義母の思い出を語っては泣いていた姿が印象的でした。

 

 

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