この世に生きる理由
「私ってなんで存在しているんだろう?」「人間はどこから来てどこへ行くのか?」「死んだ後はどうする?」「私って何???」思春期にはこんな質問が自然と浮かんでは消えていったのをぼんやりと覚えています。答えを追及しないまま、いつかそんな問いを発することも忘れてしまう・・・
しかし人間は折に触れて、特に困難に直面したときに、この人生の根本という壁に突き当たります。
比較的穏やかな人生を送る人もいれば、言葉に尽くせない辛酸を嘗める人もいます。世渡り上手な人もいれば、どんなに努力を重ねても報われない人もいます。悪事を重ねながらのうのうと暮らしている人もいれば、何の悪いこともしていないのに悲惨な目にあう人もいます。このような世の中は不公平で生きているのが辛くなってしまうこともあるかもしれません。自分なんか生きている価値はないと・・・
思うようにならないことは苦しいものです。生まれた土地や家族、暮らす環境、ある意味自分に備わる能力さえ、私たちは選ぶことができません。しかし思うようになるものがただ一つだけあります。それは私たちの「心」です。同じような状況にある人でも、心のあり方次第で外側の世界への態度、関わり方は変わってきます。
自分の心を知りたければ、自分自身を、心を、そしてすべてを創造した存在について考える必要があります。創造主との関係を築く必要があります。私たちを創造されたお方は、私たちが想えば想ってくださり、歩いて向えば走ってこちらに向ってきてくださるような存在です。私たち自身よりも私たちのことを良く知り、常に近くにいてくれる存在です。
そしてまさにこれがこの世に生きる意義なのです。すなわち、私たち自身を含む万物を創造されたお方を知り、その方との結びつきを作っていくことです。この世は試練の場に過ぎません。与えられた試練にどう向き合うかが重要であり、物質的な成功を収めることはこの世では役に立っても究極的な目的ではありません。万物の創造に無駄はなく、存在することには必ず意味が伴われています。
私たち一人ひとりの存在も同様です。
「私の存在って?」この問いが浮かぶのは創造主が私たちに、こちらに向きなさい、あなたに必要なものはここにありますよ!と手招きして呼びかけてくれているからのように思えてなりません。