かんたん!イスラーム史

 

歴史が苦手という方にも、より簡単でやさしいイスラーム史を紹介します。

1.無明時代からウマイヤ朝成立まで

 

イスラーム以前のアラビア半島

 

 アラビア半島は、古代よりセム語系のアラブ人という民族が住む地域でした。 内陸部の大部分が砂漠に覆われたアラビア半島で、当時のアラブ人は交易によって栄えた西部のヒジャーズ地域のオアシス都市を中心にラクダや羊の放牧や、ナツメヤシなどの栽培を生業としていました。 遊牧民族であったことからアラブ人の団結力はなく、それぞれの部族内での結びつきは強かったものの、各部族はばらばらの状態でした。このイスラーム教成立以前の時代を、ジャーヒリーヤ(無知の時代)といいます。

 6世紀後半、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)とササン朝ペルシアが長い間戦争をした結果、シルクロードが両国の国境で分断されました。そのため、シルクロードがアラビア半島を迂回する形となり、中国やインドなど東方の貿易品が紅海沿岸のヒジャーズを通って西方に運ばれるようになっていきます。 これにより遊牧生活を続けていたアラブ人たちの生活に大きな変化があらわれてきます。アラブ人の中に、中継貿易を独占して、莫大な富を得る商人が現れたのです。そして次第に、大商人クライシュ族などが力を持つようになりました。メッカやメディナといった都市は商工業で栄え、その結果アラブ社会に貧富の格差が生まれて来たのでした。

 

預言者ムハンマドの誕生とイスラーム

 

 預言者ムハンマドは、570年頃、当時名門とされ有力者であったクライシュ族のハーシム家に生まれました。誕生前に父を、6歳で母を亡くした後、叔父に育てられました。

 日本で近年までよく知られていた「マホメット」という名はラテン語由来のヨーロッパでの呼び名であり、「ムハンマド」がアラビア語での呼び名です。

 預言者ムハンマドは25歳の時、貿易に従事していたハディージャと結婚しました。そしてキャラバンを率いて各地に赴き、貿易に従事していました。

  610年頃、ムハンマドは唯一神アッラーの啓示を天使ジブリールから受け、マッカ(メッカ)を中心に布教を始めました。当時のマッカは多くの人々が父祖伝来の偶像崇拝を行っており、当初は多くの人が反発しました。それでも、長い間貧富の格差に苦しんでいた貧しいアラブ人や奴隷、若者に少しずつ広まりを見せていきました。

 これに対し、マッカの有力者たち、特に多神教を信仰していた人々は、イスラム教の拡大が自分たちの地位や利益を脅かすのではと考えるようになりました。 また奴隷とその主人を平等と見なすことを受け入れられない人も多くいたのでした。

 イスラームが少しずつ広まっていくにつれて、ムハンマドや信者たちはこうした人々によって迫害を受けるようになります。

 

 特にムハンマドの出身でもあるクライシュ族からの迫害は激しいものでした。3年にわたってハシム家との商取引や食料のやりとりを禁止するというボイコットが行われ、人々は非常に苦しい生活を強いられました。622年、ムハンマドと当時のイスラーム教徒たちは迫害を逃れるためマッカを脱出し、北に300km離れたヒジャーズ中部のヤスリブという街に移住しました。 これをヒジュラ(聖遷)と言い、ヤスリブは「預言者の町」という意味の「マディーナ・アン=ナビー」に改名されます。この622年は後にイスラム暦の元年とされています。マディーナの地でムハンマドはイスラム教徒の共同体であるウンマをつくり、布教を進めます。

 

 マディーナに拠点を移したムハンマドは、624年クライシュ族を中心とするマッカ軍などと何度か戦いを行い、その後630年にはメッカを征服します。 メッカを征服したムハンマドは、多神教の聖地とされ、多くの偶像が配置されていたカーバ神殿に向かい、偶像を破壊しました。これ以降、マッカはイスラームにおいて重要な中心地となります。そして632年、預言者ムハンマドはアラビア半島を統一したのです。ばらばらだったアラブ人はイスラームの教えのもと団結したのでした。預言者ムハンマドはその年に病気の為マディーナで亡くなります。

 

カリフ時代

 

 632年の預言者ムハンマドの死のあと、ムハンマドの義父にあたり、最初期のイスラーム教徒の一人であったアブー=バクル(在位632~634)がカリフという地位につきます。これ以降4代にわたって正統カリフ時代がはじまります。 カリフとは預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号であり、「カリフ」という言葉は本来は「代理人」という意味を持ちます。634年にアブー=バクルが病死すると、第二代カリフにウマル(在位634~644)が即位します。 ウマルは強力なイスラム軍を率いて、642年ニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシアに勝利します。その後651年にササン朝ペルシアは滅亡しています。同時にビザンツ帝国とも戦い、その影響下にあったシリアやエジプトを征服し、イスラーム世界が大きく拡大することになりました。

 イスラーム世界の発展に大きな貢献をしたウマルは、最後は暗殺されてしまいます。その後第3代カリフに即位したのがウスマーン(在位644~656)です。クライシュ族の中でも、ムハンマドの生家ハシム家と並ぶ名家ウマイヤ家出身のカリフです。 ウスマーンの時代に、聖クルアーンの編纂が行われています。この他、この時代イスラーム教の教義が確立していきますが、同族を優遇した政治を行った為に、反対勢力に暗殺されることとなります。

 ウスマーンが暗殺された後で即位したのが、第4代カリフのアリー(在位656~661)です。 アリーは預言者ムハンマドの従兄弟にあたり、ムハンマドの娘ファーティマと結婚しており、預言者ムハンマドの血統を受け継ぐ正統な後継者とされていました。

 この頃、アラブ帝国の拡大によりカリフの権力が大きくなるにつれて、イスラム共同体の内部に権力争いが起こるようになっていました。アリーと敵対したのが、征服地シリアの総督だったクライシュ族ウマイヤ家出身のムアーウィヤでした

 第4代正統カリフのアリーは、ムアーウィアとの妥協点を見出そうとします。これに不満を持ったハワーリジュ派という一派が、アリーの態度を妥協的だとして批判し、アリーを暗殺してしまいます。 このアリー暗殺の以降、正統な選挙でのカリフ選出がなくなったことから、正統カリフ時代が終わります。

 最後の正統カリフだったアリーが暗殺された後、対立していたウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤ(在位661~680)がカリフとなり、ウマイヤ朝(661~750)を開きます。

ウマイヤ朝の初代カリフとなったムアーウィヤ以降、カリフの地位は選挙ではなく世襲となったのです。

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つづく・・・

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ザ・メッセージ / The messege

預言者様の生涯とイスラームの歴史に重大な出来事を

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