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イスラームの意味

 

イスラームの言葉本来の意味は「平和」もしくは「従う」です。

両方の意味とも、イスラームの教え全体に影響を及ぼしています。
 

「平和」という意味としては、イスラームは、人間の自らに関わるあらゆるつながりに

おいて平和と安定を目標とします。つまり、イスラームは単に信仰と崇拝行為だけの教えではなく、それ全体が一つの生きるシステム、ライフスタイルといえます。
 

「従う」という意味は、ムスリムが信仰生活においてアッラーのご命令に完全に従うことです。すなわち、ムスリムの信仰と崇拝行為において、アッラー以外の何ものをも介在

できないということです。
 

イスラームとは?

 

 本当のイスラームとは?

 

世界で起きるテロや暴力行為などの一部の間違った解釈を持つ人々により、イスラーム教は野蛮で遅れている宗教という悪いイメージが先行しています。

私たちムスリムは、この誤解にとても悲しい思いをしています。

なぜなら、本当のイスラームとは、私たちの人生の生き方であり、心を豊かにし、やすらぎを与えてくれるものだからです。世界の14億人以上もの人々が信仰する教えは、難解で特別なものではありません。ましてや、人や自分を傷つけたり、他人の権利を奪ったりするような教えでも決してありません。

 

日本にはイスラームに共通する美徳が多く存在します。

また事実、外国人ムスリムが日本に来て驚くのが、イスラームで美徳とされているものが、自然と日本人の振る舞いに見ることができるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際イスラーム圏に行ったことがある方や、ムスリムに出会ったことのある方は、その印象に私たち日本人と同じ美徳を感じ嬉しい思いをしたり、反対に違う点が多いと思った方もいらっしゃるかもしれません。。。

 

人は、自分の望む方向に物事を都合よく解釈する傾向があります。

事実、歴史として人々はアッラーの教えに勝手な解釈を加え振る舞ったため、アッラーは最後の預言者ムハンマドを(彼の上に祝福と平安あれ)遣わし、イスラームの教えを完成させました。

 

日本人改宗者は年々増加しています。改宗のきっかけは、自身の入信やムスリム圏の方との結婚など様々です。しかし、改宗したものの、身も心もムスリムになりきれずに悩んでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

映像でみたイスラームではなく、誰かから聞いた不確かなイスラームでもなく、自分の手で目で正しいイスラームの知識得ていくことで、心で感じる、本当のイスラームが見えてきます。

あるムスリムを見て、その振る舞いからイスラームを判断するのではなく、自分で知識を得て、真実を探し、熟考してみましょう。もちろん、その振る舞いが良いものであれば、是非取り入れて下さい。

 

預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)の伝承(ハディース)によると、

アッラーは、「私のしもべが、私に思いを馳せれば馳せるほど、私は、しもべの近くにいるであろう。
しもべが私の名を唱えるほど、私は彼と共にいるであろう。
もしも、しもべが私を想念すれば、私も心で彼を想うであろう。
もしも、しもべが私を集会の場で想念すれば、私もまた、集会の場で彼をもっとよく想い出すであろう。
もしも、しもべが手の長さほどでも私に近づくならば、私は腕の長さほど彼に近づくであろう。
もしも彼が腕の長さほど私に近づくならば、私は両手をのばした長さほど彼に近づくであろう。
もしも、しもべが私にむかって歩いてくるならば、私は彼の方に走ってゆくであろう

とおっしゃっています。

 

信仰とは、アッラーとあなた自身の関係なのです。


 

 

 

 

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イスラームの3つのイメージ

 

 

1.テクスチュアル的イメージ(聖典原点のイメージ)

これは、イスラームの基盤ともいえる聖典「クルアーン」とムスリムにとって規範となる「ハディース」(いわゆる預言者ムハンマドの言行録)に示されたイスラームのあり方です。この点については後述いたしますが、ここでのイスラームをみれば、人と人、神と創造物である人間の間を往復する「愛情」、「同情」、「哀れみ」、「慈悲」、「謙遜」、「寛容」等の諸概念がイスラームの道徳を構成していることが分かります。これに基づいてイスラームとムスリムを判断すると、ムスリムは、周りに対して極めて優しく、常に親切で公平に行動する人のことです。そして1人のムスリムの行動を見れば、周囲に生命の美しさと重要性を教える人の姿が現れます。これが、イスラームの聖典の中での「イスラーム」と「ムスリム」の姿です。

2.実践的イメージ

これは、あるムスリムの実際の言動から喚起されるイスラームのイメージです。皆さんの中には、観光や仕事でイスラーム諸国を訪れたことのある方もいらっしゃると思います。その機会に、街角で出会ったムスリムや仕事で知り合ったムスリムの行動から判断されるイスラームのイメージです。その判断は、肯定的な場合も否定的な場合もありますが、このようなイメージは、イスラームの実像から外れる場合が多々あります。なぜならば、そのムスリムが理想的なイスラームを実践しているという保証はありませんし、全てのムスリムの行動がイスラーム的であるとも言い切れないからです。さらに、私たちの前に、ムスリムという属性や形容詞をもって登場する人が、自分の考えとそれに基づく行動の正当性を主張したとしても、彼が必ずしもイスラームを代表するという訳ではありません。それは、あくまでもその人のイスラーム理解、あるいは実践でしかありません。


3.マスコミ的イメージ

これは、上記の2つと異なり、我々が第三者として受動的な立場で考察するイスラームのイメージです。世界のどこでも、マスコミに取材されテレビの画面に映るイスラームや新聞や雑誌などに書いてあるイスラームのイメージは、イスラームに対する偏見や誤解を反映している場合が少なくありません。

要するに、我々は、イスラームをこのような3つの視点から考察することができます。しかし、テクスチュアル的なイスラームを抜きにして、イスラームの全体像を捉えることはできません。単にあるムスリムの行動、あるいはマスコミ報道などから見ると、誤解に陥る恐れがあります。そこで、私は、第1の視点を重んじながら、第2と第3のイメージを比較したいと思います。つまり、イスラームの聖典と正当性が認められているムスリム先人の言葉を引用しながら、今日のイスラームのイメージを再構築します。時々私は、「イスラームはこうです」とか「こうではありません」と判断もしますが、最終的な結論は皆様のご判断にお任せします。

 
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