日常生活とイスラーム
イスラームに戸惑いを感じている方へ
近年、日本人ムスリムの数は増加傾向にあります。
それは、イスラム圏の文化や歴史などに興味を持ったことによりイスラームに出会い改宗されるケースや、イスラム圏の方と結婚により、改宗されるケースです。
または、親がムスリムであることから、日本生まれのボーンムスリムもいます。
まず個人的経験をお話することをお許し下さい。
筆者は、イスラームに改宗し10年が過ぎましたが、改宗した当初は、ムスリムとしての生活やイスラームの決まりや考え方に心がついて行かず戸惑いを隠せなかった一人です。この期間、沢山の日本人ムスリムに出会いましたが、私自身のような思いをされている方が多くいらっしゃいました。
ある時、ある日本人ムスリムが書いた入信記を読みました。そこには、彼女がイスラームと出会って劇的に心の迷いが晴れていく様が書かれていました。正直に言えば、「私はこんな思いができるのだろうか」と思ったものです。このように感じる方はきっと勤勉な特別な方で、自身のようにイスラームをよく知らない者には程遠い感覚なのだろうと思いました。しかし、そのモヤモヤをまったく気にしないハートの強さもなく私は、「このままずっとムスリムになりきれない思いを抱えながら、それを見ない振りをして生きていくのか、もしそうならムスリムである主人とうまくやっていかれるのだろうか。その迷いは子供を育てるにあたって影響を与えないだろうか・・・」と悶々考える日々を過ごしていました。
日本では宗教を信じている方はいますが、イスラームのように、その信仰を生き方そのものと考える明確さは薄い傾向にあります。(ここでその是非は問いません)例えば、筆者の実家は仏教ですが、幼い頃、葬儀や法事、ご先祖様に尊敬の意味でお仏壇に手を合わせたりした以外は、生活の場面や家族の会話で信仰の話をした記憶がありません。
ましてや、ムスリムの両親や家庭に育った私たちではないので、色々な場面で戸惑いが出るのもごく自然なことかもしれません。
イスラームへの戸惑いは人一倍大きかった私ですが、今は本当にムスリムとして満足し幸せを感じています。私は全く普通のどこにでもいる、いちムスリムですが、先の入信記の心の晴れ間の意味が分かった気がします。
ここで、私が言えることは、イスラームに対する戸惑いや迷いを感じていることは、必要な成長過程だということです。
そして、少なからず誰しもが通る道なのです。
この大きな壁を越えて、あなたなりの意味を見いだせれば、人生を晴れやかな気持ちで、信仰によって想像を超えた心の豊かさを感じることができると思います。
アッラーは誰にもチャンスを下さる
アッラーはムスリムだけの神ではありません。この世に存在する動植物、人間、全てを創造したお方で、全ての者に公平であられます。
アッラーの99個ある美名(アッラーの特性を示す名前)の一つに、公平なお方というものがあります。私はこの美名が大好きです。私のような者にもチャンスを下さったのですから。
いわゆるイスラームの5行(礼拝などの崇拝行為)を始めることは時にはハードルが高いかもしれません。
まず、前向きに進んでみることをお勧めします。
色々な戸惑いや不安を、肯定的な行動、エネルギーに変えてみましょう。
例としては以下のものがあります。
ムスリムの友達を増やす
改宗しても、家族以外のムスリムに知り合いがいないという方もいらっしゃるかもしれません。ムスリム出会ったら、思い切って話かけてみましょう。誰かに紹介して頂いてもいいと思います。
引っ越しした当初、ご近所の方と話をした時に、「普通の方なんですね!」と言われたことがあります。イスラーム的な服装をしているためか、見た目から判断すると、話しかけづらいとか、変わっている人だと思っていたという事です。
事実、私も改宗前は同じように思っていましたが、通常の交友関係となにも変わりません。むしろ、物事を肯定的に捉えたり、親切な方が多いので付き合いやすく勉強になります。
勉強会やムスリムの集まりに参加してみる
首都圏やお住まいの地域では、ムスリムの集まりや勉強会を開催していたりします。
ムスリムの知り合いがいれば情報を聞いてみましょう。大概知っていて教えてくれます。
もし、勉強自体にまだ気が乗らないという場合は、勉強会の後にお茶会を開催していたりする場合がありますので、そこから参加することもできると思います。
自分で色々と調べる
以前に比べて、今はインターネットで何でも調べられます。
イスラーム知識、日常生活、結婚、家庭、子育てなど、ムスリムとしての疑問を自分自身で調べることをお勧めします。ネットやイスラーム関連の本で調べたり、知識のあるムスリムの方から意見を聞いてもいいと思います。
「知識を得ること」、「熟考すること」、イスラームは知に重きをおく教えです。
なぜなら、知識を得る事によって、物事の善悪、有益なものと無益なものの区別を理解する助けとなるからです。テロや暴力、女性蔑視などのイスラームのマイナスイメージは、知識のないところから発生しています。生まれながらのボーンムスリムでも、最初から何でも知っているわけではありません。色々なことを学んで、探究してこそ、正しいムスリムの行いにつながるのです。真のイスラームの教えに辿り着くように、誰もが学ぶことが必要なのです。
出来ることを増やしていく
心にイスラームにつながる場所を作りましょう。
簡単なことから一つ一つ実践できることを増やしていきます。
例えば、道や庭に咲く花を見て、「アッラーはこんな綺麗な花を創造されたのか。」とか、子供達の遊ぶ姿を見て、「アッラーよ、ありがとう」と思う、など心をアッラーにいつも繋げる、想うことなど、なんでもいいと思います。
また、ムスリムのお勧めされる行いを意識を持って行ってみましょう。
例えば、「笑顔はサダカ(施し)」から、誰にでも笑顔に接する、など。(当HPでもムスリムのお勧めされる行い(スンナ)についてアップしていきますので参考になさって下さい。)
心をアッラーにつなげてくと、自分の知らないうちに、信仰というスペースが広がっていくのに気づかされると思います。
最後に・・・信仰はあなた自身のもの
あるムスリムの行いを見てイコール、イスラームの教えと思ってしまう方々がいます。例えば、テロなどもそうです。イスラームの教えから見ても、一般的な道徳から見ても正しくないことでも、人々はイスラームは野蛮だとか怖いと言います。
日常生活の場面でも同じです。ムスリムである配偶者やパートナーの行いにイスラームを結びつけて、イスラームに対し批判的な方々もいます。
これは、両方から見て残念なことです。マイナスの見本を見せる方も、知識の少なさから視野を狭めてしまうことも。
イスラームへの戸惑い、不安、迷い、不満、色々な思いをよいエネルギーに変えてみましょう。よい意志を持ってイスラームを求めれば、必ずアッラーはあなたに道を見せて下さいます。
信仰は誰のものでもなく、誰によるものでもなく、アッラーとあなた自身の関係なのです。
最後にある伝承をご紹介します。
「アッラーは次のように宣言された。
“私のしもべが、私に思いを馳せれば馳せるほど、私は、しもべの近くにいるであろう。
しもべが私の名を唱えるほど、私は彼と共にいるであろう。
もしも、しもべが私を想念すれば、私も心で彼を想うであろう。
もしも、しもべが私を集会の場で想念すれば、私もまた、集会の場で彼をもっとよく想い出すであろう。
もしも、しもべが手の長さほどでも私に近づくならば、私は腕の長さほど彼に近づくであろう。
もしも彼が腕の長さほど私に近づくならば、私は両手をのばした長さほど彼に近づくであろう。
もしも、しもべが私にむかって歩いてくるならば、私は彼の方に走ってゆくであろう”」
(預言者ムハンマドの伝承)