誤解されるイスラーム

 

テロ行為

 

中東地域もしくはムスリムが多く済む地域でテロ事件が発生すると、「イスラーム過激派による犯行」などといった表現で、イスラームとテロをつなげて語られるのは残念なことです。そもそもイスラームに「穏健派」と「過激派」があるのか、メディアが安易に乱用するこうした表現で受け手側である一般市民が知らず知らずのうちに一定のイメージを刷り込まれ、それが真実であるかのように理解されてしまう様には、イスラームの一端を勉強した者から見ると、実に不勉強でイスラームを冒とくするものであり、罪作りであるように思えます。もちろん「イスラーム」の名の下に勝手な解釈を行い、世界のあちこちで到底許されない暴力、犯罪を犯しているムスリム自身の罪は言うまでもありません。しかし大多数の一般ムスリムは、そうした行いに同じムスリムとして傷つき、イスラームが間違った方向で知られていくことに無念を感じています。大切なのは、「イスラーム」そのものとテロ行為を犯す人々やテロ行為が起きた状況をきちんと区別し、同一視しないことです。

 

イスラームとテロは両立するか

まず結論からいうと、イスラームがテロを命じたり許したりすることは決してありません。生命はその侵害が許されない5つの基本的人権の一つとされています。1人の人を殺すことは全人類を殺すことと同様であり、1人の生命を救うことは全人類を救うことと同様であるとイスラームの啓典クルアーンでも明確に述べられています(クルアーン5章32節)。

またムスリムの行動や活動は、目的も手段も合法的、すなわち正しいものでなければならないとされています。この意味で戦争という観点からも取り上げて見ましょう。戦争は預言者ムハンマドの時代から行われていましたが、イスラームでは決して好ましいものではなく、自己防衛のために認められているだけです。また平和と戦争に関する法も整備されており、やむを得ず戦争に突入する場合でも、民間人は殺してはいけないこと、穀物や果物を荒らしてはいけないこと、女性に対する不適切な振る舞いは許されないことなどの命令が国家の指導者から前線に向う司令官に訓示されていたことが歴史に残されています。そもそも戦争は政府が宣言できるものであり、個々人がそれぞれの大義を掲げて始められるものではありません。ましてや現代世界において、厳密な意味でのイスラーム国家は存在しないことを考えると一部のムスリムが何らかの大義を掲げて戦争を引き起こすなどイスラームのルールに則ったあり方でないのは明白ではないでしょうか?

預言者ムハンマドも「子どもたちを傷つけるな、教会で祈りを捧げる者たちに触れるな」と仰っています。混乱に陥りがちな戦争状態にあるときでさえ罪のない人々に対しては手を触れることすら許されていないのに、無差別に勝手な理由で暴力を振るったり殺人を犯したりすることが正当化されるはずがありません。

 

「ジハード」と「テロ」

よく、「殉教者となって天国を獲得するためにジハードを行うのだ」という名目のもとテロが起こされるのをニュースなどで見聞きします。そしてありがちなのが、イスラーム(ムスリム)は好戦的な宗教(人々)だというイメージです。

ここで明らかにしておかなければならないのが「ジハード」の定義です。ジハードとは、それぞれのムスリムが神の慈悲を授かるために行うあらゆる奮闘、努力、忍耐を指します。この観点からすれば、ついテレビを見過ぎになって礼拝をおろそかにしてしまう人がテレビのある部屋から別の場所に移ることもジハードと言えます。つまり軍事行動のみがジハードではないのです。むしろごく一部にすぎないのです。ムスリムが模範とすべき預言者ムハンマドの時代を見ても、当時の戦争はしかけられた攻撃に応戦するものなどで、「神の唯一性を否定したから」という論拠で他部族に攻撃したことはなかったとのことです。このことから、どんな大義名分を掲げていたとしても、一般人を襲ったり、特定の事柄に関係の無い人を殺したりすることはジハードと見なされるはずが無く、単なるテロ行為であること、ジハードとテロは何の関連性もないことがお分かりになるかと思います。

 

化学物質を用いて仕立てられる自爆実行者

いくら天国を望むとしても、そもそも人は自爆して死ぬことに恐怖を抱かないのか?という素朴な疑問は出ませんか?その疑問の答えの一つとなるのが、「化学物質の利用」です。

ご存知の通り世の中には、麻薬のような、人の正常な理解力・判断力を麻痺させ、かつ依存性を持つものが昔から存在し、日本でも薬物乱用は最近大きな問題となりつつあります。このように、洗脳し、精神力を増加させて死の恐怖を消す薬物が投与して自爆実行者を作りあげることは難しくないと言われているのです。

 

「テロリストはムスリムではあり得なく、ムスリムはテロリストではあり得ない」

あるイスラーム学者は次のように言っています。「ムスリムがテロリストでは有り得ないのは、イスラームにおいて人の生命を脅かすことと、社会の安全を脅かすことには最も重い罰が定められているからです。また、アッラーの存在を拒否すること、アッラーに他のものを並べることに続いて、来世で受ける最も重い罰は、人間の命を奪うことに科されます」。イスラームを信じ、正しく実践しようとする人であれば、来世で受ける審判を考えたとき、この世で些細な罪でさえ犯さないように注意するはずです。ですからたまたまムスリムである誰かがテロに関わったとしたら、そこには信仰やイスラームの本質と異なる何か他の原因が大きく影響していると考えるのが自然ではないでしょうか。残念ながらこの現代、イスラーム圏と一般に呼ばれる地域では、経済が破綻し、文化が衰退し、道徳の源であるはずの信仰やその実践はかつてないほどの低いレベルに陥っていると言われています。不正や不平等がはびこり無力感が漂う社会、政府など指導的立場にある人々の汚職などといった社会全体を覆う閉塞感に加え、イスラームを誤って解釈する宗教指導者や、善悪を判断できない無知なムスリムの増加など、ムスリム自身に帰される問題が相まってイスラーム世界が大きな困難に直面しているのは事実です。しかしそこで何が起きているのであれ、それがイスラームに起因するものであるかどうかは、啓典であるクルアーンと預言者の慣わしであるスンナに照らし合わせて判断されるべきです。それもせず、安易に「イスラーム」と何かを結びつけて考えることはイスラームの冒涜に他なりません。

 

(The Light, Inc.発行 「イスラームの観点からテロと自爆攻撃」を参照しました)

 

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