最も偉大なる御名(イスミーアゥザム)
アッラーの属性をあらわす美しい御名について、クルアーンに
「最も美しい凡ての御名はアッラーに属する。それでこれら(の御名)で、かれを呼びなさい。 」(7章180節)
「アッラーに祈れ。慈悲深い御方に祈りなさい。どの御名でかれに祈ろうとも、最も美しい御名は、凡てかれに属する。」(第17章110節)
「アッラー、かれの外に神はないのである。最も美しい御名はかれに属する。」(第20章8節)
「かれこそは、アッラーであられる。造物の主、造化の主、形態を授ける(主であり)、最も美しい御名はかれの有である。」(第59章24節)
と、あります。一般には99と知られていますが、その美しい御名の秘められた部分(最も偉大な御名)について、一緒にすこし考えてみましょう。
また、クルアーンの第19章60節から82節を見てみましょう。ムーサー(彼に平安あれ)が出会ったひとりのしもべ(65節)がヒドル(彼に平安あれ)であり、意味深い旅の様子が71節から82節にあります。
最も偉大な御名(イスミーアゥザム)
イマム・ガザーリーのアッラーの美しい御名から「比類なきお方、生ける者、自足者、正しく裁く者、公平な者、聖なる者」を御名の中でもっとも偉大な御名として認めた。彼はそれらについて小文を書き、それらの御名を唱えることによって、いろいろな病気の治癒、害悪からの盾となることを述べている。ギュムシュハーネヴィー・ハズレトレリも彼のドゥアーの本、メジュムアトゥル・アフザーブに加えている。たとえば10回「アッラーは偉大なり(アラーフアクバル)」と唱えたあとで、「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって」で始め比類なきお方、生ける者、自足者、正しく裁く者、公平な者、聖なる者」と唱えることは害から守られ、勝利を勝ち得ることの原因となると述べている。ウスタード・ハズレトレリも、セキーネとタフミーディーヤェのようなドゥアーの始めにこれらの御名を唱えた。
5回の礼拝中のサラートィ・ウスター、金曜日のヴァキトィ・イジャーベ(ドゥアーの受け入れられる時間)、人間達のなかでアッラーが愛で給うしもべたちたち、ラマダーン中のみいつの夜、あらゆる崇拝行為中でのアッラーの承諾、万有における審判の日、個々人の人生における死の瞬間等が明らかにされていないのと同様に、アッラーの美しい御名の中でも偉大な御名は秘密にされている。信仰者が絶え間なくめざめ、注意深く継続的にアッラーにイバーダする中で発見することのできる秘密ゆえに、どの御名がアゥザムであるかは知らされていない。いろいろな御名がイスミーアゥザムとして唱えられてきた。
偉大な御名として伝えられている御名のすべては、クルアーンとスンナに基づくドゥアーの中にある。ドゥアーメジュムアスにすべてそれらの御名を入れようと試みた。さらに秘められた神秘が存在するだろうと考え、同じ単語が違った順序で伝えられている場合やお互いに近い発音で伝えられている場合にも、(神秘を失わないために)そのまますべてを書き留めた。それらの言葉は預言者(彼に祝福と平安あれ)に対してのものであるので、すべて価値あるとみなし、一つも書き逃さないよう努めた。
ドゥアーメジュムアスでみられるように、「比類なきお方、生ける者、自足者、正しく裁く者、公平な者、聖なる者」の他に「慈悲深きお方、(顔を背ける者にも)やさしく慈悲をかけるお方(ハンナーン)、親切にめぐみを与えるお方(メンナーン)、王者、平和なる者、信仰を守る者、守護者)のような御名もイスミーアゥザムとして伝えられている。さらに、1つ単語の形ではなく節や複合語の形で唱えられる「天と地の原始の創造者(2章117節の一部)」「尊厳と栄誉に満ち給う主(55章27&78の一部)」「あなたの外に神はありません。あなたの栄光を讃えます。本当にわたしは不義な者でした。(21章87節の一部)」「アーヤェトゥルクルスィ(2章255節)」のような偉大な御名があると述べられている伝承もある。これらは偉大な御名(イスミーアゥザム)の顕れの場なのか、もしくは、これらも顕れそのものか?またはこれらの中に出ている主の神聖な御名がイスミーアゥザムなのか?このことはただ至高なるアッラーのみがご存知である。
「アッラーよ、私はあなたのしもべであります。あなたのしもべの男性と女性から生まれた息子であります。天命(カダル)はあなたの御手の中にあります。私に対してなされるあなたの御決定は行使され、あなたの御評価は公正であられます。あなたご自身が名づけられた御名、クルアーンで述べられた御名、被造物の1人に知らしめた御名、また幽玄界の知として隠され、誰にも知られていないすべての御名に敬意をこめて・・・クルアーンが私の心に春を、そして、私の心に光をもたらし、いたみ、不安、悲しみを取り除いてくださるようお祈りいたします。」
つまり、1人の人間に知らされている御名、クルアーンのみに言及されている御名、特定の善いしもべ、ジン、天使に知らされた御名、また誰にも知らされず、神の知のみに属する御名も存在するとことになる。
さらに、困難に陥り、必要を感じた時、あなたがたはいろいろな言葉で主に呼びかけているのに気づくだろう。あなたがたの言葉がどのような言葉であっても、それが心からの声であり、あなたがたの気持ちをあらわすものであれば、知らず知らずに、秘められた御名の一つ、またはイスミーアゥザムと認められる御名をあなたがたは唱えることができるのである。たとえば、「私は貧しい者であります。あなたはまずしい者達を助けてくださるお方です。」と仰るなら、これに対応する神の御名が何かを私達はしらないが、おそらくこれもアッラーの美名のうちの1つであろう。「私は、必需品が必要な者です。必需品への心配を取り除いてくださる方はあなたです。」とおっしゃるなら、ジェヴシェンにある「心配を取り除くお方、悲しみを消すお方(20・1&2)」の代わりに使うことができるだろう。もし誠意をもって、心から望むのであれば、大なる主はあなたの舌をほぐし、無意識にあなたにイスミーアゥザムを唱えさせるのだが、あなたがたが心から唱えないならば、イスミーアゥザムを唱えたとしても、ドゥアーのある側面は充分ではなく、満たされない。
このために、祈願(切なる願い)がただ誠実に祈られることでのみイスミーアゥザムに近づくと同様に、めぐみのアルシュ(天の一番高いところ)にも到達し、受け入れられるだろうと神の友たちは語っている。そう、誠実さ、率直さ、忠誠さは、まるでイスミーアゥザムの即効薬として影響するである。バヤズィド・バスターミーはイスミーアゥザムとは何かと尋ねる者達へ「あなたがたがアッラーの御名の中でイスミーアスガル(もっとも小さな御名)を示してくだされば、私もイスミーアゥザム(もっとも偉大な御名)を示しましょう。」と述べ、さらに付け加えた。「私の考えでは、イスミーアゥザムに影響を与える何かがあるとすればそれは疑いなく誠実さ(スドゥク)です。忠誠さ(サダカート)で心を満たせば、どのような御名を唱えても、それはイスミーアゥザムとなります」
そのため、人間は偉大なる主に誠実に向かう事が必要である。そして、讃美される神の属性(スファトィ・スブハニヤェ)に近づくための重要な一段階としてアッラーの美名を価値付けるべきである。全身全霊でそれら(偉大な御名)を追いつづける必要がある。心を与えられた人間としてこの御名を知り、唱える必要がある。
安い物買いが手に入れた物を、一時(いっとき)も私は信頼しなかったし、今もそうである。たとえば、安物買いの人々はみいつの夜にも完全に益をえることはない。ふさわしいやり方でみいつの夜の価値を高める者達に、偉大なる主がめぐみとして与えた「神の輝き(めぐみ)」に、彼らが一年間待ち、ただラマダーンの27日の夜のみを祝福することだけで、たどりつくことは、不可能なことである。そのため、アブーハニーファは「みいつの夜は明らかにされていません。1年の360余日中、毎夜、みいつの夜をさがしもとめるべきです。360余日、感受性をとぎすまし、毎夜、蘇生(再生)すべきです。アッラーもその誠実なあなたの心に好意を示されるでしょう。」仰った。
万有に称えられるお方、預言者(彼に祝福と平安あれ)(ファフリ・カイナート・エフェンディミズ)は、みいつの夜をご存知であられた。ところがある日、「みいつの夜の日を伝えようとして外に出てみると、2人の者が口論をしていた。彼らとかかわっているうちに、みいつの夜がいつかを私は忘れてしまった。」と、仰られたそうだ。ムウミンの間で起こるどんな小さな行き違いやけんかでも、自らを深く傷つけることと、みいつの夜が秘密であることには神の英知が存在することをこのお言葉で示された。預言者(彼に祝福と平安あれ)に時代には、みいつの夜はラマダーンの27日の夜であったが、しばらく後に、預言者(彼に祝福と平安あれ)はそれをラマダーンの最後の10日間の奇数の日々に捜し求めるよう助言なさったそうだ。
『毎夜がみいつの夜であり、すべての人をヒドル(彼に平安あれ)と知れ。』と言う名言もたいへん短くはあるが、影響力の強い言葉である。ヒドル (彼に平安あれ)も人々の間で明らかにされていない。
彼はヤースィルか、ムスタファか、或いはアブドゥルラフマーンか知ることはできない。だが、あなたがたが、皆に敬意を表し、必要としている人々を手助けし、すべての人を保護し、あらゆる人々に心を開くなら、ある日ヒドル(彼に平安あれ)に出会い、あなたがたも心の庭を緑で茂らせることだろう。このように、偉大なる主は毎夜をみいつの夜と理解し、1人1人がヒドル(彼に平安あれ)でありえることを信じる気持ちを持ちつづけ、いつも注意深くふるまい、心をひきしめているようにと2つのことを秘密になさったのである。それと同様に、イスミーアゥザムもアッラーの美名の中にかくされ、私達がこのことに注意をはらうようにと配慮なさった。このようにして、私たちの考えを私たち自身の心へと向けさせたのである。お望みなら、イマム・ガザーリーがイスミーアゥザムとお伝えになった「比類なき者、生ける者、自足者、正しく裁く者、公平な者、聖なる者」の御名を繰り返し唱えてみよう。要するに、アッラーへドゥアーする時、どの御名を執り成しの御名としてもよろしいが、誠実さ、率直さ、忠実さで心を満たしドゥアーする必要があることをここに正しく示されたのである。
アッラーに心から結びつかなければ、みいつの夜、ヒドル(彼に平安あれ)、イスミーアゥザムを見出すことはむずかしい。あなたがたの心が誠実さと忠実さを捉え、追い求めた時のみ、これらは神秘のおおいをあなたがたに開く。あなたがたに心の準備がとのっていればだが。「すぐに見出そう、すぐに語ろう、すぐに手に入れよう。」と言う感情が働くなら、まだまだたいへん待つ必要がある。
今のところ、このテーマは私たちも評価して受け入れたこの文をもう一度申し上げて終りにすることにしよう。
「あなたがたがアッラーの御名の中でイスミーアスガル(もっとも小さな御名)を示してくだされば、私もイスミーアゥザム(もっとも偉大な御名)を示しましょう。」