心の浄化とは何か

 

 

心の浄化はこれまでいろいろな形で定義されてきました。個人のエゴや意志、自己中心というものをなくし、アッラーの真髄という光で個人を霊的な意味で生き返らせてくださることだと見る人がいます。このような変化は個人の意思をアッラーの意思と一致するようにアッラーが導いてくださるということです。また、個人の悪い点を浄化し美徳を得るための絶え間ない努力だと見る人もいます。


高名なスーフィーのジュナイド・アル=バグダーディーは心の浄化を「アッラーの中に自己を消滅させること」と「アッラーとともに永久に生きること」を思い出す方法と定義しています。シブリーは、常にアッラーとともにあることもしくはアッラーの御前にいることであり、それによって現世や来世での目標が楽しくすら感じられるとまとめています。アブー=ムハンマド・ジャリールは、現世的な私利私欲や不道徳の誘惑に抵抗することであり、賞賛に値するような美徳を得ることであると説明しています。
 

また、心の浄化は物事や出来事の「外側」や表面上の見た目の裏側を見ることであり、世界で起こるすべてのことをアッラーとの関係の中で解釈することだと説明する人々もいます。これは人がアッラーの行為の1つ1つをアッラーを「見る」窓だと捉え、物理的には説明できないような深く霊的に「見る」ことや常にアッラーによって監視されているのだと深く認識することによって、アッラーを「見る」ための絶え間ない努力として人生を生きるということです。
 

これらすべての定義は以下のようにまとめることができます。《心の浄化とは、アッラーがお喜びになられる美徳と善行を実行するために不道徳や弱さから自らを解き放ち、アッラーの知識と愛が求めるように生き、結果として霊的な喜びの中に生きる人々が歩む道である。》
 

心の浄化は、内なる意味を理解するためにシャリーア(イスラーム法)の最も些細な規則にすら注意することを基本としています。その道を進む人々(サーリク)は決してシャリーアを外見的に遵守することとその内なる意味とを分けることをしません。そのため、イスラームの外部的側面と内部的側面のどちらの要求することもすべてに従います。そういった遵守を通して、人は謙虚さと従順さにおいて最高の状態を目指して進むことができるのです。
 

アッラーの知識へと導く困難な道である心の浄化においては、怠慢や浅薄といったようなものが存在する余地はありません。まるでミツバチが巣から花へ、花から巣へと飛び続けるように、この道を進む人には知識を得るために絶え間ない努力が求められるのです。他のものに対する執着や愛着も心から取り除かれなくてはいけません。すべての現世的な嗜好や欲望、食欲などに抵抗し、アッラーが甦らせ心を照らしてくださった知識を反映させ、預言者ムハンマドのお手本に厳しく従うことと同時に、常にアッラーの恩恵と霊感を受けられる状態で生きるのです。アッラーへの愛着と信仰が最高のものであり最高の誉れであるとの確信から、この道を行く人はアッラーの要求すなわち真実のために自分自身の欲望を放棄するのです。
 

これまで心の浄化の定義をみてきましたが、次に目的・利益・原則についてみていきましょう。
 

すべての宗教的義務に関する厳格な遵守と簡素な生活様式、現世的な欲望の放棄が心の浄化では求められています。霊的な自己規律を通して、人の心は浄化され、感覚や能力はアッラーの道に使われるようになります。つまりそれは、この道を進む人が霊的なレベルにおいて生き始めるということなのです。
 

また心の浄化では、アッラーを崇拝し続けることによって、自分自身はアッラーに帰依する存在であるという意識を深めることができるようになります。この束の間の物質世界を、それがもたらす欲望や感情と同様に放棄することで、アッラーの美名に向けられたもう1つの世界という現実を意識することができるのです。個人の存在の道徳的側面を伸ばし、以前は表面的に受け入れていた信条について強く心からまた個人的経験に基づいて確信を得ることができるようにもなります。
 

心の浄化の原則は以下の通りです。


○ アッラーの唯一性に対する信仰を確かなものにし、その信仰に沿ったように生きること

○ アッラーの御言葉(聖クルアーン)に注意を払い、はっきりと認識し、そして全世界がそうであるように(創造物と生命の法)アッラーの力と意思に従うこと

○ 全世界は人類の揺りかごであるという確信に基づき、アッラーの愛に満ちあふれ、全ての他の存在と友好な関係を保つこと

○ 他の人が良好な状態であることや幸せであることを好み、優先させること
○ 自分自身の欲求ではなくアッラーの意思の通りに行動し、アッラーの中に自己を消滅させアッラーとともに生きるという姿勢で生活すること
○ 愛や、霊的願望、歓喜、恍惚に対して開かれた状態でいること
○ 表情と、アッラーの真理や外見的出来事の意味など精神面から、心や頭の中がわかること
○ 霊的に意味のある場所を訪れ、罪を避けアッラーの道に努力する人々と交流すること
○ 許された喜びで満足し、一歩たりとも許されていないものへとは近付かないこと
○ 現世での野心やこの世界が永遠であるかと思わせるような幻想に対して常に闘い続けること
○ 信仰と宗教的行為に対する確信、純粋で誠意ある意思、アッラーのお喜びだけを求める心によってのみ救済は可能となることを決して忘れないこと
 

もう2つの要素を付け加えることもできるでしょう。《宗教的、霊知学的知識と理解を深めることと、霊的に完成された人の先導に従うこと。》これらは両方ともナクシュバンディヤ・スーフィーの中では重要な意味を持つものです。
 

心の浄化を以下のような基本概念に沿って論じることは有益かもしれません。基本概念は、しばしば道徳や礼儀、禁欲主義についての著作の主題となり、また心の中で「イスラームの真実」の位置を占めるものとして捉えられています。アッラーへと導く霊的な道を知り、それに従うための光であると考えられることもあります。
 

基本概念の第一番目で最も重要なものは、覚醒していること(ヤカザ)です。それは預言者の言行録(ハディース)で以下のように言及されています。《私の目は眠るが私の心は眠らない。》また、第4代カリフのアリーの言葉も残されています。《人間は眠っている。死ぬ時に起きるのである。》この道の他の多くの段階については、これからこの本の中で詳しく論じることにしましょう。