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イスラームの崇拝行為(イバーダ)

 

聖クルアーンでは、アッラーは人間を崇拝行為を行うために創造され、預言者達は人々をアッラーを崇拝するために導いてきたことが明示されています。崇拝行為はイスラーム教徒が主であるアッラーへの敬意を明らかにするために行うべき義務であり、その実践は善行とされ、またアッラーの恵みに対する感謝を表すこととなり、しもべとして最も重要な行為とされています。

義務とされる崇拝行為

 

イスラームにおいて、六信の他に、実践するのが宗教的義務とされている五つの崇拝行為(五行)があります。それらは、
1)信仰告白(「アッラーの外に神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という決まった文句を口に出して唱えること)
2)一日五回の礼拝(サラート)
3)斎戒(断食)
4)喜捨
5)巡礼                                                です。

イスラーム教徒には、これらの行いを遂行することが求められています。
五行は、心における承認である六信と違って、身体による行動です。その実践方法、時間、場所に関する条件や意味等は 宗教法によって定められています。形式の定められた崇拝とは別に、人間が日常生活において善意を持ってなす良い行い、すべては崇拝行為となります。たとえば、町で偶然会った人に挨拶すること、通行者に迷惑や被害をかける何らかの障害物をそこから排除すること等は、五行のなかに含まれていないとはいえ、善意を持って行われる限り、アッラーが慶ばれる 崇拝行為として数えられます。

 

 

意志の重要性

五行は身体による行動ですが、崇拝を行う際の「人間の 意志」は重要です。意志なくして崇拝は成り立ちません。強制的に行われる崇拝は形の上では崇拝であっても、崇拝をする人の意志が存在しない限り真の意味での崇拝にはならないのです。そのために、他人に 崇拝を強制することはイスラームでは許されない行為なのです。

 

崇拝の対象

 

崇拝行為は、直接アッラーにのみに捧げるべきものです。信者の祈りを神に届けてくれるような仲介者の存在は認められません。また、人間の罪を神にかわって許してくれるいかなるものも存在しません。信者は崇拝にあたっては、神と直接に対面していると考えます。崇拝の継続の誠意こそが、人を唯一である創造者に近づけ、そのお喜びを得ることに繋がるのです。

信仰を補い、完成させるもの

 

五行は、それを行わない場合にも信仰を失ったことにはなりません。つまり、六信はそのうち一つでも欠けるとムスリムと認められない一方で、五行はそのうち一つを、何らかの正当な理由で、あるいは その義務性を認めながらも意図的に実行しなかったとしても、ムスリムであり続けます。言い換えれば、六つの信仰条件を信じるのであれば、一日五回の礼拝をしなくても、喜捨を納めなくても、ムスリムとしての属性には何ら変わりが生じないということです。

しかし五行の遂行は、崇拝の意義に照らし、その一つひとつがイスラーム教徒にとって重要な義務だといえます。崇拝行為とは、創造主アッラーのお恵みすべてに対する、人間側からのわずかながらも精一杯の感謝の気持ちを表すものです。アッラーからの限りないお恵みの価値を正しく評価できる人は、それに対して感謝する義務を負っていると感じるでしょう。このような感情を抱くのは自然なことです。言い換えれば、感謝の念を持つ人には、崇拝は必然なのです。アッラーを崇拝する人は、精神的な安定を得て、幸せになることができます。この幸福感こそ、崇拝を楽しみとし、行わない限り満足感に達しないようにするのです。

 

崇拝行為に要する時間

 

イスラームにおける崇拝は、人々の日常の生活に支障をきたすものではなく、時間もとりません。一日五回の礼拝を行うときに費やす合計時間は、個人差もありますが、礼拝前の準備(手足を洗う行為)も含めて平均的にいえば、1時間もかからないでしょう。一日24時間という計算からすれば、神に授けられている毎日の24時間に対して、たったの一時間(4%)を捧げるのは大した分量ではないはずです。日ごろテレビやパソコンの前で無意味に費やす時間は、礼拝に使う時間より多いでしょう。また、一生に一回行われる巡礼も、2週間から1ヶ月間位かかるとされていますが、平均寿命からすれば、授かった命というお恵みへの感謝として、1ヶ月間の巡礼は長すぎるこ とはないはずです。

 

柔軟さを併せ持っている

 

崇拝は厳しく定められたものではなく、人の必要に応じた柔軟性を有しており、難しいものでもありません。たとえば、旅行中には一日五回の礼拝が短くなり、断食の月に断食をするかどうかは旅人の自由となること等が挙げられます。崇拝は、人にとって欲望の自制の訓練であるのと同時に、心を安らげる効果をもたらします。信頼できるものを持つ人の心に安らぎがあるのです。

 

一日の行動を規律し、調整する役割も

 

イスラームにおける崇拝行為は、仕事の調整や時間の分配のための重要な道標でもあります。一日五回の礼拝の時間は、太陽の一日の動きによって決められます。たとえば、朝一番の礼拝は、日が昇る前の時間に行います。第二の礼拝は、 正午すぎに行われます。断食と巡礼の期間も、太陰暦によって決められます。また、喜捨の遂行においても時間の要素があります。一定の財産を持つ人は、それを一年間所有すれば、喜捨が義務となります。しかし大金持ちであっても、一年間その財産を持つことができないイスラーム教徒には、喜捨を納める義務がなくなります。

時間と礼拝の関係は、イスラーム世界に生きる人々の生活にも影響しています。イスラーム教徒はしばしば、やるべき 仕事を一日五回の礼拝の時間によって調整します。例えば、「正午の礼拝の後で」、あるいは「日没の礼拝の前に」といった形で、一日をいくつかの時間帯に区分し、どの瞬間も無駄に過ごさないようにします。したがって、崇拝行為に 関して、時の貴重さを知り、生きる時間を最大限有効に活用すべき大切な恵みであると見なす人たちは、飲み食い、寝起きに至るまで、全てを規律正しく行ない

ます。

 

 

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