

宗教の名のもとに犯される殺人の深刻な影響(前半)
質問:宗教の名のもとで一部の集団が犯している殺人、自爆攻撃およびその他の暴力的行為は、単にその上層部に操作されてのことだと説明できるでしょうか?ムスリムの住む地域でも同様の行為が発生していることの理由はなんでしょうか? 答え:ムスリムの見せ掛けをした一部の人々が、爆弾を積み込んだ車両を使って無辜の人間を殺したり、崇拝の場所に同様の攻撃を仕掛けたりしています。これはクルアーンや預言者(彼に祝福と平安あれ)のスンナ、もしくはムスリムであることとはなんら関係のないことです。悲惨なことに、今日こうした事件が発生しては信仰する者たちを非常に困惑させ、悲しませることとなっています。外国の勢力によって密かに行われ組織された操作があることも事実ですが、イスラームを誤って理解、解釈することから生じる、こうした宗教を装って行われるテロ行為は、イスラーム世界に対してなされた十字軍やモンゴル軍の攻撃よりもなお悪いと言わざるを得ません。これら誤った行いや殺人はイスラームの顔に泥を塗り、さらに甚大な損害を引き起こしているからです。 誤解された勇敢さ、勇気 控えめに意見を述べ


ハディース分析 「忍耐とは、災難の最初の衝撃を受けた時にあるものである」
「忍耐は、災難の最初の衝撃を受けた時にあるものである。」 このハディースには、次のようなエピソードがある。 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、墓地においてイスラーム以前の風習が続けられているのをご覧になって、信者たちが墓地に出かける事を禁じられたことがあった。しかしその後その禁止は解かれ「私はあなた方が墓地に出かけるのを禁じていましたが、これからは墓地に出かけてください」と命じられ[1]、墓参りを推奨されるようになった。なぜなら墓地には、人々を終わりのない欲望から解放するための、この上もなく効果的な忠告が秘められているからである。預言者御自身もしばしば墓地を訪問され、毎週少なくとも一回はウフドの戦いの殉死者たちの墓に行かれた。 ある時墓参りをされた時、一人の女性が息子の墓の前で大声で泣きながら、体をかきむしるようにして、不適切な表現をしているのをご覧になられた。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は彼女のそばに行かれ、忠告しようとされたが、彼女は預言者の顔を知らなかった。「邪魔をしないで。あなたは私がどんな目にあったか知らないの


他者を優先する精神
人それぞれの努力は、その価値によって決まる。自分のことのみを考える人は人ではないか、何かが不足した存在である。人間性へと至る道は、他者を思うあまり自分を忘れてしまうというところを通過する。 人は、自らの恥に対しては検察官のように、他者の欠点に対しては弁護士のようにあるべきである。 成熟した人、そして真の親友とは、地獄からの出口で、そして天国への入り口ですら、「どうぞ。」と言うことができる人である。 真に人である人とは、どのような条件であろうと、自分の桶に乳を搾りいれる時、他の人の桶をもからのまま放ってはおかない人である。 あなたは種を蒔いて、去りなさい。誰が収穫しても、それでよいのだ。


祝! 一周年
アッサラームアレイクム! 2016年、新年おめでとうございます。 昨年、2015年元旦にイルムの森HPがスタートし、アルハムドゥリッラー、一周年を迎えることができました! 皆様より数多くのご意見や励ましの言葉を頂き、本当にありがとうございます。 今後もドゥアと共にアッラーに助けを懇願し、皆様のご意見や要望を反映しながら、管理人一同頑張っていきたいと思っています。 今年は、新しく親子でイスラームを学んで交流できるような別館ページを作成予定です。 また昨年開催したイフタールパーティのようになイベントも出来たらな、と期待しています。 皆様にとって、幸多き一年となりますよに、インシャッラー!