

善における競い合い
大なり小なり(道のため)費やしたもの、また一つの谷を越えたことが、必ずかれらのために記録されている。アッラーはかれらの行ったことに対して、最上(の報奨)をもって報われる。(悔悟章第121節) 解釈はこの章が下された理由としてウスマーンさまの献身に触れ、その出来事を伝えています。ムータの為の遠征がなされた時代でした。この過酷な対戦の為、軍が整えられているところでした。非常に困難な条件のもとで兵の装備が整えられたことから、この軍には「困難の軍」という名がつけられています。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は、何度もそうであったように、ここでも、教友達に支援を求められました。説教を行なわれつつ、アッラーのご満悦の為に財産を差し出すこと、犠牲を払うことについて人々に奨励されたのです。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)がその説教を続けていた時、人々の中から一人が飛び出してきました。これがウスマーンさまでした。「アッラーの使徒よ!私から、荷物と共に100頭のラクダを!」と言っていました。預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)はその説教を続

許しなさい、許される為に
問い:「最たる敵」とはどういう意味ですか?信仰の光に満たされた心に、怒りや憎悪、敵意といった感情が存在することは可能ですか?信者の徳において「許すこと」はどのような位置を占めるものですか? 答え:この教えの精神には、愛情があります。なぜならこの世界は一つの愛の詩として創造され、地上もその詩の韻客とされているからです。自然という書物をよく読む人は、いつでも愛の旋律を聞いているのです。被造物を胸に抱くこの愛情は、人間の結びつきをも、その色に染めます。崇高なその本質を見出し、その本髄の部分に与えられている愛情の種に気づいた人、そして創造主との結びつきを感じることのできる人は、他の人々をもアッラーの芸術作品と見なし、周囲に愛情を抱き、皆を愛するようになるのです。さらには、全ての被造物をその慈しみの中に抱くようになるのです。 信仰の光によって輝かされていない不幸な心は、怒りや憎悪、敵意といった感情に襲われます。師が言っているように、憎悪の闇にいる人は、世界を葬儀場のように、被造物をも互いに関係のない敵であると見なします。彼は全てが互いに敵対しあっていると考


宗教の名のもとに犯される殺人の深刻な影響(後半)
(前半)の続き・・・こちら オスマン帝国の崩壊後、イスラーム世界では様々な崩壊が立て続けに起こりました。今日、ムスリムが自らの足で立ち上がり、自らの魂を探し出そうという試みが新たに始まっています。イスラーム世界の全体像ではなく、トルコを一例に見ただけでも、過去とは異なってきており、ここ四、五十年で大きな変化が発生してきていることに気付くでしょう。イスラーム世界におけるこうした発展や変化に阻害された一部の勢力が、自らの宗教に備わる本当の基準というものを知らず感情と偏執的優越心の赴くままに行動する無知な人々を扇動して、自分たちの卑劣な目的のためにこうした人々を操ろうとしています。 被害妄想の必要性と欺かれた大衆 残念ながら、イスラーム圏に住む人々のすべてが、バランスの取れた考え方をし、自らの源についての十分な知識を備えるといった分別を持ち合わせているわけではないのが現実です。自分たちに都合の良い世論を形成するために、被害妄想を誘発させ、世界中の大衆を扇動しようとする勢力は、無知や貧困に端を発するこうした弱さをムスリムの中に見出し、自分たちの策略を隠蔽