
恵みをもたらすもの 第1回
人間は、現世での生涯においてその時間が増すこと、長く生きること、財産が増えること、多くの子供たちに恵まれること、生計が楽であること、そして愛するすべてのものが豊かであることを願います。人間にとってこれらすべては現世における幸福の最も重要な根幹なのです。しかし、自覚を持つムスリムはこれらの恵みが自らにとって尊いものとなり、恵みを伴うものとなることを願い、ドゥアーします。ここでの恵み(バラカ)は、「神による善がある事柄において確固たる状態であること」と定義されます。 恵みは、少ないものへ与えられた場合にはそれを豊かにします。豊かであるものに与えられた場合はそれをより有益なものとします。恵みとは、たくさんあることではありません。恵みとは、現世と来世の幸福の為に有益であることです。非常に多くのものを手にしていながら、恵みと善が何であるかを知らないばかりに手にしている豊かな恵みを生かすことができず、現世や来世のために用いることができずにいる哀れな人がどれほどいることでしょう。まず恵みには、その量の多少との前提的な結びつきはありません。時には少ないことが恵み

シリーズ 「私の入信記」 ep.3
私には、シャハーダ(信仰告白)の経験が二回ある。 一回目は、結婚する際のシャハーダ。二回目は、ムスリムとして生きていく決意を込めたシャハーダ。前者を、シャハーダ(信仰告白)と呼ぶことさえも、今となってはその、「信仰告白」という言葉の重みに対して恥ずかしささえ感じてしまう。 アッラーは人をどのようにお導き下さるのか。私はムスリムの仲間のシャハーダまでの経緯を、失礼と思いながらも、非常に興味深く聞いてしまうタチなのだが、それぞれ十人十色にドラマがあることに感慨を覚える。つまり、どこの国で生まれようと、生まれながらにムスリムでも、そうでなくとも、真面目でも不真面目でも、過去によい事をしても、悪い事をしたとしても、わけ隔てなくアッラーは私達にイスラームへの道を用意して下さっているという事に、気づかされるのである。 わけ隔てない証明として、アッラーは私もお導き下さった。 私は結婚に際して、自分なりにはイスラームの本を読んだだけ、分ったつもりで一回目のシャハーダをした。軽々しくしたつもりもなかった。ただそれは、私にとっては結婚生活の手続きであって、自分がムス