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恵みをもたらすもの 第1回

人間は、現世での生涯においてその時間が増すこと、長く生きること、財産が増えること、多くの子供たちに恵まれること、生計が楽であること、そして愛するすべてのものが豊かであることを願います。人間にとってこれらすべては現世における幸福の最も重要な根幹なのです。しかし、自覚を持つムスリムはこれらの恵みが自らにとって尊いものとなり、恵みを伴うものとなることを願い、ドゥアーします。ここでの恵み(バラカ)は、「神による善がある事柄において確固たる状態であること」と定義されます。

恵みは、少ないものへ与えられた場合にはそれを豊かにします。豊かであるものに与えられた場合はそれをより有益なものとします。恵みとは、たくさんあることではありません。恵みとは、現世と来世の幸福の為に有益であることです。非常に多くのものを手にしていながら、恵みと善が何であるかを知らないばかりに手にしている豊かな恵みを生かすことができず、現世や来世のために用いることができずにいる哀れな人がどれほどいることでしょう。まず恵みには、その量の多少との前提的な結びつきはありません。時には少ないことが恵みであり、時には多いことが恵みであり、時には幸福が、時には悲しみが恵みなのです。

ここでは簡単に、顕著な点について、クルアーンの句とハディースの灯りをもとにして、恵みをもたらすものについて見ていきたいと思います。

恵みはどのように得られるか。

1―篤信:篤信とは、完全な注意深さを持ってアッラーのご命令に従い、禁じられていることを避け、物理の法則をも尊重することによりアッラーのお怒りから守られ、逃れる努力であり、アッラー以外の何者かを崇拝すること、あるいはそれを示唆するものを避け、義務を細心の注意と共に果たし、大罪を避け、小さな罪に対しても注意深くあること、疑わしいものから遠ざかること、といった意味になります。篤信はあらゆる善の発端です。

クルアーンでも、「これらの町や村の人びとが信仰して主を畏れたならば、われは天と地の祝福の扉を、かれらのためにきっと開いたであろう。だがかれらは(真理を)偽りであるとしたので、われはかれらの行ったことに対して懲罰を加えた」(高壁章7/96)とされています。またこれに関する別の句でも、「またアッラーを畏れる者には、かれは(解決の)出ロを備えられる。

かれが考えつかないところから、恵みを与えられる」(離婚章65/2-3)とされています。誠実な人である、ある方に、「ものの価格があがった」といわれた時、「篤信によってそれを下げなさい」と応えています。つまり、経済的な不均衡さがあるなら、篤信についてもう一度とりあげてみなさい、という意味になります。さらに、「篤信のある人は、決して窮乏状態にはならない」といわれています。

2―クルアーンを読むこと:クルアーンは恵みと癒しの源である書です。それが恵みと癒しをもたらすものとなることは、クルアーンに対する信仰に正比例するものです。「われがあなたに下した啓典は、祝福に満ち、その印を沈思黙考するためのものであり、また思慮ある者たちへの訓戒である」(サード章38/29)クルアーンを読むことなどのよい行い、あらゆる善や恵みを引き寄せるものとなります。

3―ドゥアー:慈悲と慈愛の預言者である私たちの主は、あらゆる行いにおいてアッラーからよいものと恵みを願われました。例えば、結婚を考える人たちのために、「アッラーがあなたに、そしてあなたの上に恵みを与えてくださいますように。祝福されたものとしてくださいますように。あなた方二人を福のうちに一緒にしてくださいますように」とおっしゃられました。つまり結婚に 際して善と恵みを考え、このようにドゥアーすることが必要なのです。同様に、預言者ムハンマドは、気高い人々に食事を振舞う一人の教友がドゥアーを求めた時、次のようにおっしゃられました。「アッラーよ、彼らに与えられた糧を豊かなものとなさってください。彼らをお赦しください。彼らに慈悲をおかけください」このお方の預言者としての生涯においては、このようなドゥアーが多く存在しています。

4―貪欲さやけちな振舞いを遠ざけること:アッラーの使徒はハキーム・ビン・ヒザームに次のように仰せられました。「ハキームよ。確かに、この財産は魅力的であり、甘美なものである。しかし一方で、そこには人の手の穢れがある。誰であれ、気前よさ、心の豊かさによってそれを手にすれば、それはその人にとって豊かなものとなる。誰であれ、それを貪欲に手にすれば、その財産は彼の為に決して祝福されたものとはならず、また豊かなものとはならない。これは、けちな我欲を持つ人が貪欲にむさぼっても決して満足しないことに似ている」同様の意味でベディウッザマン師は次のように仰せられています。「貪欲さは困窮の要因であり、慢性的な病であり、逸脱である。それは困窮や貧困をもたらす。貪欲さは貧窮をもたらす。神への信頼と満足が、慈悲の要因となる。」

5―売買行為における誠実さ:この、正しさ、誠実さの問題はとても重要です。これに関して、次のようなハディースがあります。「買い手も売り手も売り買いの場から、そしてこの事柄から離れない限り返品交換する権利があります。双方が誠実であり、すべてを明示すれば、売買は祝福され、豊かでよいものとなります。もしいくつかの点が隠され、されには嘘がつかれたりしていれば、売買の恵みはなくなってしまう」

6―仕事を期日までに行うこと:イスラームの望む事柄の一つが、時間に正確で早めに仕事を済ませることです。日が昇る前に朝の礼拝のために起き、崇拝行為を行い、日々の仕事を始めることです。借金を遅らせることなく期日内に支払い、約束を守り、時間通りに果たさなければならないのです。「アッラーよ!物事を早めに済ませることを、わがウンマにとって祝福されたこととしてください」というドゥアーがこれを示しています。

ドゥアーを伝承しているサフル・アル・ガミーディは、アッラーの使徒が軍を早朝に出発させられていたことを記録した後、自らが商人であること、品物を買い手に朝一番に送っていたこと、それによって裕福になったことを記しています。早起きすることの必要性、朝の礼拝の後に寝ることが好ましくないという点については他の伝承もあります。「恵みを求めることは早めに始めなさい。なぜなら早く始めることは恵みであり、成功であるからだ」「朝の時間の眠りは、恵みへの妨げとなる」また他には、朝の礼拝の後に眠っていたファーティマを、預言者ムハンマドが足で突付いて起こされ、「娘よ、起きなさい。神の恵みの分配の証人となりまさい。のんきであってはならない。なぜならアッラーは、黎明の時間と日の出の時間の間に、恵みを分け与えられる」とおっしゃられました。

私たちの師たちは、朝の礼拝を時間通りに行わず遅らせてしまい、従ってあらゆる仕事を遅い時間に残す人たちがその日食べるものを見出すことすら非常に驚くべきことであることを述べ、「朝の礼拝を太陽が昇った後に行なう人が、その日何らかの恵みを見出せたのなら、それは驚くべきことである」と語っています。つまり、その日おなかを満たすことができたことに感謝すべきであり、何も見つけることができなかったとしてもそれが普通であるとしているのです。

7―預言者のスンナに従うこと:なぜならあらゆる仕事において、スンナに従うことはよいことと恵みをもたらすからです。この項目では多くのハディースがあります。「恵みはタ料理の中央に下されます。皿の端の方から食べなさい。真ん中なら食べないでください」アッラーの使徒は指をなめること、無駄にならないよう皿をきれいにすることを命じられました。「あなたがたの食べているものが落ちたなら、それを拾いなさい。それをシャイターンに残してやってはいけない。なぜなら恵みが食べ物のどの部分にあるか、あなた方は知ることができないのだ」

第二回へつづく…

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