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アザーン 第二回

ムスリムではない人でも、イスラーム教国に行ったことのある人であれば、夜明け前の町に響き渡るアザーン、あるいは日中、町の喧騒を突き破るように響くアザーン、あるいは夕暮れの街に物悲しいような調べで流れるアザーンを耳にして、心ひかれたり、心を洗われるような気持になったことがある人もいるかと思います。

イスラーム教徒にとって、アザーンは礼拝の時刻を告げるだけのものではありません。アザーンは同時に、現世での暮らしに忙殺され、あるいは没頭し、神を思うという状態から遠ざかりがちな信者の心に呼びかけ、忙殺されていたり没頭し過ぎていたりする現世での生、そこでの不注意さから信者を目覚めさせるのです。

アザーンはアッラーを思い起こすチャンスであり、信仰を持つ人々に信者としての意識を呼び覚ませるものなのです。

同時にアザーンは礼拝、モスク、クルアーンといったものと同様に、イスラームの教えの最も象徴的なものの一つです。またヒジュラ歴元年(西暦622年)から1400年近くを経た現在に至るまで、宗派や地域、時代による一部の細かい違いはあったとしても、ほとんどが当時と同じ形のまま、詠みあげられてきました。西暦622年といってもピンと来ないかもしれませんが、日本史でいうなら飛鳥時代、ちょうど聖徳太子の亡くなった年にあたります。そのような時代から現代まで、日本が飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代…と変遷の歴史をたどってきた間ずっと、そして同様にイスラーム世界も長い変遷の歴史を潜り抜けながらも、変わらずアザーンは唱えられ続けてきたのです。

622年前にマディーナで教友ビラールによって初め唱えられたアザーンは、現在では世界各国、各地のモスク・礼拝所で唱えられています。時差のあるこの世界で、日付変更線のすぐ西にある日本のモスクで朝のアザーンが詠みあげられた何時間後かには、その西側にある韓国、インドネシア、マレーシアといった国々で朝のアザーンが同じ言葉で唱えられます。そこから西へ西へとアザーンはバトンタッチをするかのように詠み継がれていきます。アフリカ諸国、欧州諸国から海を渡ってアメリカ各地で詠まれ、地球を一周してくるのです。そして例えばアメリカ西部のロサンゼルスで朝5時の時、東京では既に夜の10時になっているのです。すなわち、アザーンが一周するまでの間に、実際には次々とその後のアザーンの時間が訪れます。それがまた時差のある世界で西へ西へと詠まれていき、地球規模で見るならあたかもアザーンの輪唱のようになるのです。

このようにちょっと想像力を働かせて考えてみると、アザーンがまた少し違った形でとらえられるかもしれません。地球はいつでも、信仰を持つ人々にアッラーを思い起こさせるアザーンの響きに包まれているのです。

ここで、アザーンの意味を紹介しましょう。

アッラーフ アクバル(4回)

アッラーは偉大なり

アシュハド アン ラー イラーハ イッラッ=ラー(2回)

アッラーの他に神はなしと私は証言する

アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッ=ラー (2回)

ムハンマドはアッラーのみ使いであると私は証言する

ハイヤー アラッ=サラー (2回) いざや礼拝へ来たれ

ハイヤー アラ=ル=ファラー (2回)

いざや成功(救済)の為に来たれ

アッラーフ アクバル (2回)

アッラーは偉大なり

ラー イラーハ イッラッ=ラー (1回)

アッラーの他に神はなし

早朝の礼拝(ファジュル)の時は

ハイヤー アラ=ル=ファラー (2回)の次に以下の文句を2回加えます。

アッ=サラート ハイルン ミナン=ナウム

礼拝は睡眠にまさる

次回は、アザーンに関するハディースについてご紹介したいと思います。

インシャラー。

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