top of page

犠牲祭(イードル・アドハー)


犠牲祭(イードル・アドハー)は、イスラーム世界がズールヒッジャ月(イスラム暦第12月)の10日から13日にかけて祝う、最もよく知られた宗教上の祭日です。聖クルアーンでも、整列者章(83節~113節)、巡礼章(26節~28節)において言及がなされているように、イブラーヒームさまのスンナとして祝福されています。「われは凡てウンマの(供犠の)儀式を定めた。かれが授けられる4つ足の家畜の上に、アッラーの御名を唱えなさい。」(巡礼章第34節)という章句も、これが後に全てのウンマを包括するイバーダ(崇拝行為)となったことを知らしめています。

犠牲祭は、マッカで啓示された「本当にわれは、あなた(ムハンマド)に潤沢を授けた。さあ、あなたの主に礼拝し、犠牲を捧げなさい。本当にあなたを憎悪する者こそ、(将来の希望を)断たれるであろう。」(潤沢章)という神のご命令がただご自身に義務とされたお方として、午前の礼拝(もしくは感謝の礼拝)と、犠牲の動物を屠ることとを始められた預言者ムハンマドによって初めて、ヒジュラ暦1年にマディーナで、アッラーのご命令に沿った形で、言葉と動作におけるスンナを伴って、全ての信者のための祝日として定められました。そしてこの日にイードの礼拝を行なうこと、動物を捧げることが、実行されるべきこととされたのです。

あるハディースでは、「イードの日を祝日として祝うことを私は命じられた。アッラーはその日を、このウンマのための祝日とされたのだ。」と言われています。クルアーンが最も重きを置き、その意味を明らかとしている祝日である犠牲祭は、それに関する諸ハディースによれば、1年で最も尊い日であり、あるいはその価値においてアラーファの日(ズールヒッジャ月の9日)と等しいとされています。アラーファの日と犠牲祭の日は、イスラームの聖なる集会であるハッジのイバーダが行なわれる時でもあるのです。

犠牲祭(クルバン祭)の「クルバン」とは、k, r, b を語根とするものであり、動名詞形としては「近づくこと」、名詞としては「奉仕によって王に近づいた者」を意味します。宗教上の用語としては、アッラーへと精神的に近づけるもの、という意味になります。一定の動物を、定められた時間に屠ることです。恵みに満ちた祭日の一つである犠牲祭は、イブラーヒームさまが自己犠牲を払われ、信者たちが全ての誠実さを通して罪からの救いの道を求め、そしてそのために人々がベイトゥッラー(アッラーの家)に顔を伏せ、そしてアラファト山で滞在し、信者としての魂によって祈り、願い続ける日なのです。

イブラーヒームさまが息子イスマーイールをクルバンとして捧げようとされ、アッラーが大きな羊を遣わされ、彼を救われたという日を記念して祝うのです。この祝日は、イスラーム以前の教えの指導者であった預言者の記憶を新たにし、アッラーの為に生命や財産を捧げ、その道において忍耐と不屈さを示す上で彼らを模範とする、という意味を持っているのです。

犠牲祭は、アッラーのご命令に従った形で、預言者ムハンマドご自身の言葉と動作のスンナに従って実行するものとして、ウンマに祝日として定められたものです。その徳と神聖さを教えるハディースにより、犠牲祭とはアッラーの位階において最も尊く、貴重な日であり、その価値においてアラーファの日と等しいものであることが明らかにされています。これに類似するハディースでも、「アッラーの御前において、日々のうち最も偉大なものは犠牲祭の第1日目、ズールヒッジャ月の10日である。尊さによってそれに続くものは、犠牲祭の2日目、ズールヒッジャ月の11日である。」とされています。

 金曜日とアラーファの日がアッラーの御前において最も尊い日である、というハディースを追求した学者たちは、最も尊い日とは犠牲祭もしくはアラーファの日であり、あるいはその二つは同等であり、金曜日とは一週間のうちで最も尊い日である、と結論付けています。

犠牲祭は、イブラーヒームさまとイスマーイールさまの時代から今日まで、常に、英雄的行為、自己犠牲、見返りを求めない精神、そして従順の象徴でした。犠牲祭は、ちょうど軍隊が戦場に向かう時のように、大音量のタクビールと共にやってきて、大きな音となります。あらゆる方面にその音は響き渡ります。そこでは、旋律や詩、そして戦いの轟音、大音量で奏でられる神の宣告の声が重なり合っています。その祝福された時にあって、ほとんど皆が、全てのものが、全ての場所が、あたかも声をだして語っているようです。

アラファト山は審判の日に人が集められる場所のように、沸き立ち、煮え立ち、審判の日の尋問の場のような不安と希望の息遣いで満たされます。ムズダリファ、ミナーは、その途上にいる人々の混乱やあせりによって耳を塞がんばかりとなります。カーバは、その心が思慕に焼かれ、罪の赦しに渇いた者たちの鼓動のように脈打ちます。そしてこれらの音、息遣いは全て、神の御前に敬意を示しつつ立ち、泣く、最も気高いしもべたちの泣き声のように彼方の扉へと至るのです。

これらの声によって、私たちの感情の無限さ、私たちの思いの終わりのなさを実現化しているかのように、私たちの思いを内に秘めた宝庫が全て開かれます。そして全ての内に秘められた感情が、紐が切れた数珠の粒のように四方に散っていきます。あらゆるところで沸き立ち、アッラーの位階へと上昇するこの声を聞き、私たちの心の中で天国のようになびく喜びを味わうことにより、愛情や喜び、そして犠牲祭の魅惑によって濾された、活力を与える特効薬を飲んだかのようになるのです。

アラーファの日の朝の礼拝から始まり、犠牲祭の4日目の午後の礼拝まで、5日間の全ての義務の礼拝でサラームの後に「タシュリク」 と呼ばれるタクビール(アッラーを讃える言葉)を言います。そのためこれらの日はタシュリクの日とも呼ばれます。ただし実際は、犠牲祭の2日目、3日目、4日目がタシュリクの日と言われます。事実ハディースでは、「アラーファの日、犠牲祭の日、そしてタシュリクの日は、私たちムスリムの祝日である。」と言われているのです。巡礼者たちがミナーにいる日のことはミナーの日とも呼ばれます。

犠牲祭、礼拝、屠る動物はイスラームの象徴です。従ってこれらに敬意を示すことが、アッラーの命じられたところとなります。クルアーンでは、「以上(が巡礼の定め)である。アッラーの神聖(な儀式)を順守する者は、主の御許では最も善い者である。」(巡礼章第30節)とされています。また「アッラーの儀式を尊重する態度は、本当に心の敬虔さから出てくるもの。」(巡礼章第32節)ともされているのです。

英知の観点からは、イスラーム教徒たちが祝日において共に集まること、アッラーを思い、教えの定めを神聖なものと見ることができるように、イードの礼拝やタシュリクが「行なわれるべきもの」と定められています。またそれに加え、「イスラーム教徒たちの、一種のパレードとなる」という目的もそこに見出されます。だからこそ、子供も、女性も、老人も、皆が犠牲祭を祝う場に加わることが「好ましいこと」とされているのです。預言者ムハンマドは来られる時、そして戻られる時、道に並んだ人々を祝福されました。またイードの礼拝の後、サダカと贈り物をなされ、またそれを推奨され、そこで差し出されたものが罪が許される要因となりえることを教えられておられました。

犠牲祭において、何百万もの信者たちが揃って「アッラーフ アクバル」と唱えること、神の導きが「諸世界の王」という称号と共に全体へと顕示されることに対し、全体としてしもべとしての服従が示されること、これらは相互間の返礼のようなものです。犠牲祭の礼拝において、信者たちの心はしもべであるという形で一体化し、彼らの舌も一つの言葉へとまとめられます。

人は、永遠の崇拝の対象であるアッラーの神性、その呼びかけの偉大さに対して、無数の心や舌によってなされるドゥアーや唱念によって、全体としての返礼を行い、しもべとして服従するのです。ちょうど、イードの礼拝においてイスラーム世界は、唱念や祈りの言葉によって、世界が大きな音に包まれたようになるのです。全ての大地と陸地が「アッラーフ アクバル」と唱え、祈りの方向であるカーバを心から思い、マッカという口で、アラファト山という舌で「アッラーフ アクバル」と唱えます。その唯一の言葉は、地上のあらゆる土地におけるあらゆる信者たちの口の中の空気を震わせます。たった一つの「アッラーフ アクバル」という声がこだまとなって、無数の「アッラーフ アクバル」という声になるように、唱念やタクビールもまた、天空に響き渡り、ベルザフの世界(現世と来世の間の世界)にもその波動を送り、声を届けるのです。

「断食開けの祭日および犠牲祭をラーイラーハ・イッッラッラー、アッラーフ アクバル、スブハーナッラー、そしてアルハムドゥリッラーによって飾りなさい。」というハディースから、十分なタクビール、タフリール(ラーイラーハ・イッッラッラーの言葉を繰り返し唱えること)、テスビフ、そしてタフミド(アルハムドゥリッラーの言葉を繰り返すこと)を行なうことはスンナとなります。日に5回の礼拝、イードの礼拝、そしてハッジにおいてタクビールを多く行なうことに秘められたものについて、ベディウッザマン師は次のように解説されています。

「ある意味、ミイラージュ(昇天)を意味する礼拝の真実とは、神の御前にまみえることである。『アッラーフ アクバル』と唱えるごとに、ちょうどミイラージュの諸段階を移っていき、精神的に、もしくは幻想のように二つの世界を抜け、物質的な束縛から逃れ、全体としてのしもべの位階、もしくはそれらの庇護の場へとのぼり、ある意味御前にまみえる栄誉を受け、『イーヤーカ ナアブドゥ』、すなわち私たちはあなたにのみ仕える、という呼びかけを行なう大変な栄光に達することである。

礼拝の動作ごとに『アッラーフ アクバル』と唱えられることは、諸段階を移動していき、精神的な上昇をとげ、そして部分であることから全体という段階へと到達することを示すものである。そして、アッラーの、私たちが知ってはいない偉大な完全さの要約された名称なのだ。ハッジにおいて何度も何度も『アッラーフ・アクバル』と唱えられるのは、この神秘によるものである。

なぜなら聖なるハッジは、全ての人にとって、全体という位階におけるしもべとしての服従行為であるからである。一人の兵士はイードのような重要な日には、元帥と共に司令本部に来て、皇帝の御前にまみえることができる。それ以外の時にはただ、将校の地位をとおして彼を知っている。

同様に、ハッジにおいては全ての信者が、どれほど無知であったとしても、位階を超えてきたアッラーの親友と呼ばれる人々のように、『地と天の王』という名によってアッラーを知り、そちらへと向かう。ハッジという鍵によって開かれる、アッラーの導き者としての特性の、包括的な段階。ハッジという望遠鏡によって見えてくる、崇高な神性さの視界。そしてハッジという象徴によって、その心で、そして思いで、どんどん広げられるしもべとしての場、神の崇高さとそれらの顕現が与える熱意、驚き、怖れ、畏怖を、導き者としてのアッラーの特性は、ただ『アッラーフ アクバル』によって静めるのだ。そしてそれによって、発展した、目に見える、あるいは想像される諸位階が明らかにされる。

そしてアッラーの崇高さの諸位階がその心に対して開かれると、魂を襲う継続的な、そして熱情的な驚きの問いかけに対し、やはり『アッラーフ アクバル』を繰り返すことによって答えを与え、我執やシャイターンの最も重要な計略の根を,『アッラーフ アクバル』によって断つ。ハッジの後、それらの意義は、崇高な、全体的な、そして様々な段階でイードの礼拝、雨の礼拝、日食や月食の礼拝、集団で行なわれる礼拝などで見出される。イスラームの象徴が-たとえスンナの種類に含まれるものであったとしても-重要であることは、この神秘によるのだ。」

預言者ムハンマドは、「犠牲の動物を屠りなさい。なぜならそれはあなた方の父祖イブラーヒームのスンナである。」とおっしゃられました。また、「それを出来るだけの状態であるのに動物を屠らない者は、私たちの礼拝所に近づかないように。」「アッラーの御前において、人は、犠牲祭の日に犠牲を捧げること以上に好ましいことはしないのだ。その捧げられた動物は、審判の日、角と毛皮と爪を伴ってやってくる。その動物の血は、アッラーの御前において大きな意義がある。

その血は、流れて地に落ちる前に、アッラーの位階における崇高な場へと到達しているのだ。犠牲の動物を、清く純粋な心でアッラーに捧げなさい。」「犠牲の動物たちは、その持ち主がスラト橋を渡る際の乗り物となるだろう。」「動物の肉の一部は食べ、一部はサダカとし、一部は保管しなさい。」といったハディースによって、犠牲祭の、捧げられる動物の、そして生計をたてることの重要性を示されています。

動物が捧げられる、イードの1・2・3日目は、「アイヤーム・ナフル」(犠牲が屠られる日々)と呼ばれます。ただし、「ヤウム・ナフル」(犠牲が屠られる日)と呼ばれる1日目に屠ることがなおよいとされています。奴隷ではなく自由であり、旅人ではなく、宗教上の基準によって豊かであるとされる人(1年はまだ経過していなかったとしても、ザカートの基準に相当するだけの財産の持ち主である人)にとって、動物を屠ることはワージプ(行なわれるべきもの)です。動物を屠るのはイードの礼拝の後です。

イードの三日目の夜まで、それを行なうことができます。預言者ムハンマドのスンナに従うなら、そして「あなたの主に礼拝し、犠牲を捧げなさい。」(潤沢章第2節)という句を考えるなら、犠牲が屠られることはワージプであったとしても、アッラーの為に屠ることはファルド(義務)なのです。なぜなら大切なのは篤信であり、クルアーンでも「それらの肉も血も、決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクワー〕である。このようにかれは、それらをあなたがた(の用)に供させるが、これはあなたがたへのかれの導きに対し、アッラーを讃えさせるためである。善い行いの者たちに吉報を伝えなさい。」(巡礼章第37節)と命じられているのです。

何においても自らを知ろうとし、自らにおいてアッラーを見出そうとし、そしてアッラーに自らを消し去ることを強く求めたイフラースの勇者たちは、三つの聖なる月や灯明祭(カンディル)、イード、そしてそれ以外の聖なる日や夜といった、現世での生において来世へと向けられていて、1を1000とするほどの基準で、天国での糧を与え、神のご満悦という益をもたらす時を、大きな注意深さ、用心深さ、そして警戒のうちに過ごしました。そしてナスフの(二度としないと誓って行なう)悔悟や別れの礼拝、イフラースによる崇拝行為などによって、まさにラマダーンのようになったのでした。

アラーファの日、サッジャーダ(礼拝用の絨毯)であるアラファトで、許しというイードの日々に到達したのです。イフサンであるムズダリファへ旅をし、自己の点検であるミナーで我執やシャイターンに石を投げ、低俗な全ての感情を、涙であるザムザムの泉で清めたのです。そして最後に、心であるカーバで、罪の悔悟と改悛の一歩を踏み出し、物質的であることへの別れを告げるタワーフを行い、地にあって天が嫉妬するような、天使のような人間となり、ご満悦の地平線を自由に飛び回るような状態となったのです。


Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page