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エッセイ 「祈りに支えられて」


今回、3人目の出産の前は、今までになく不安があった。妊娠末期にむくみがでたり、体調不良だったこともあるかもしれない。胸騒ぎを感じ、万一のことを考えて、身辺整理などしていた。

とても祈りを必要とし、求めていた。そんな時、ある姉妹から、私の安産と子供の健康と祝福を願って“4444回のドゥアー”をしています、というメールをいただいた。それは長時間かかる祈りだ。

うれしかった。そして少しおどろきでもあった。私のような者のために、自分の貴重な時間を割いて、そこまで祈ってくれているなんて・・・。涙が出てきた。ありがたくて、感謝の気持ちでいっぱいになった。私も分娩までの間、ずっと心を一つにしてその祈りを唱えていた。唱えているうちに、私の中にあった不安は消え、アッラーがついているのだから、姉妹たちが私のために祈ってくれているのだから、きっと大丈夫だと、心強く感じ、安心して出産に望むことができた。

アルハムドリッラー、お陰様で4時間半弱の超安産だった。無事に出産でき、まずはアッラーに感謝の祈りをささげた。そして、私のために祈ってくれた方々にも感謝の気持ちと共に、アッラーのご加護と祝福を願って祈った。

人が自分のために祈ってくれているということが、これほどまでに心強く、励まされ、またうれしく、ありがたいことだと実感したのははじめてだった。私も、人のために祈ること、人と心を一つにして祈ることを大切にしていきたいと改めて感じた。

そういえば、私の父がガンになったときから現在にいたるまで、娘たちは毎日礼拝のたびに祖父のために祈っている。手術の際には、姉妹たちも父のために祈ってくれた。父がそのことを知ると、うっすらと目に涙を浮かべた。自分のために祈ってくれる人がいるということは何にも増してうれしいし、大きな励みになるのだろう。孫たちが、そして自分を知らない人たちまでもが、自分のために祈っているということが、とても心強かったようだ。「祈ってくれた人たちにありがとうと御礼を伝えてくれ」と言った。

私は病気の人を治すことはできないし、苦しんでいる人、困難な状況の人たちを幸せにすることはできないかもしれない。でも、心を一つにして共にその人たちの健康や幸せを祈ることはできる。

自分が皆の祈りに支えられてありがたいと思った、その感謝の気持ちを、今度は他の人のために祈ることによって、返していきたいと思う。


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