クルアーンとハディースの見地から、嘘とその害

初めに

 人々の間の結びつきは、愛情と敬意、信頼を支えとしています。正直さと真実を語ることは社会の結びつきを強めますが、正しさや誠実さと相反する嘘、嘘つきであることは、人々の間の敬意や信頼、友情を失わせ、権利の侵害をもたらし、公正さが抑圧に取って代わられる原因となります。

 正義は不正に取って代わられ、不正が正しいものとその場所を取り替えます。多くの家庭が嘘によって破壊され、富が失われ、人々の間の互いに対する信頼、愛情、敬意は疑念、怒り、敵意にその場を譲ります。それによって血が流され、殺人が行われます。

 だからこそ私たちの父祖は、いつか、それほど時をおかずに嘘をつく人のその悪事が暴かれ、嘘が明らかになるということを説く為に、「嘘つきのろうそくは日没後の祈りの時間までしか燃えない」(嘘は長続きしない)と言い、また嘘をつく人を誰も信頼しないということを示す為に「嘘つきの家が焼けたが誰も信じなかった」(嘘つきのいうことは本当でも信じてもらえない)と表現したのです。嘘、そして嘘をつくことがよいことではないことを端的に説明しているのです。

嘘をつくこととは何を意味するのか

 クルアーンの言葉として「キズブ」は嘘、虚偽、嘘つきであることを意味します。嘘は、相手を騙す目的で語られる真実ではない言葉であり、嘘をつくこととはそうした言葉を語ることです。誠実さや正しさと相反するものです。

 「キズブ」という語は、様々な派生語と共にクルアーンで300以上の章句で用いられています。アッラーは「虚偽の言葉を避けなさい」(巡礼章第30節)と命じられています。私たちの教えは、嘘や嘘をつくことを悪い習慣や罪のうち最大のものと見なし、強く拒否しています。偽信者や不信心者の特性が嘘をつくことであることをも明らかにしています。

「アッラーについて嘘を言い、また自分のもとに真理が来るとこれを拒否する者以上に、不義な者があろうか。地獄には、不信心者への住まいがないとでもいうのか」(集団章第32節)

 嘘は、多くの大罪と結びついています。多くの場合他の大罪がそれ自体独立した、それのみとして行われるものにあるのに対し、嘘はほとんどすべてと結びついています。例えば、陰口、悪口をいう人は嘘をつきます。酒を飲み理性を失った人も、非常に嘘をつきやすい状態になります。賭博を行う者は、損したものを取り返すためには嘘と一心同体になっています。姦通は嘘に満ちた大罪の一つです。非難や中傷も嘘なしでは行われません。アッラーの使徒は、ムスリムのうち窃盗、貫通、飲酒といった、重い刑に相当するような最も深刻な罪を犯した者でさえ、天国に入れる可能性があることを明らかにされています。しかし嘘は決してムスリムに似つかわしいものと見なされることはありませんでした。

 「なぜなら嘘をつくことは教えへの否定の基盤であるからだ。嘘は偽信者の第一のしるしである。嘘はアッラーのお力とその強さに対する中傷である。嘘は神の英知に反するものである。崇高な徳を破壊するのは嘘である。イスラーム世界を毒するのはただ嘘である。人間社会の様相を破滅へと導くのは嘘である。人間を精神的・肉体的発展から退かせるのは嘘である。イスラームの礎は正しさであり、誠実さである。信仰の本髄は誠実さである。完成へと導くものは正しさである。優れた徳の活力は正しさである。」

 「虚偽の言葉を避けなさい」(巡礼章第30節)「信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。(常に)実直な言葉でものを言いなさい」(部族連合章第70節)

 「疑わしいものを放棄し、避けなさい(疑念の存在しない状態で生きなさい)。正しさは人のうちに心からの信仰と成熟を生じさせる。嘘は憂鬱さであり嫌悪感をもたらす」(ティルミズィ 審判、60)

 「常に真実を探し求めなさい。真実においてあなたがたの破滅を見出したとしても。しかし確かに、真実にはあなた方の救いが存在するのだ」(カンズール・ウンマル 3/344)

 「真実から離れてはいけない。真実はあなたがたを善へと導き、善はあなたがたを天国へと導く。人は正しくあり、真実を常に追い求めるのであれば、アッラーの位階において忠実な者として記される。嘘を避けなさい。嘘は人を罪に導き、嘘は人を地獄に導く。人が常に嘘を話し、嘘を探り求めていれば、アッラーの位階において嘘つきと記される。(ブハーリー・徳 69)

 アッラーの使徒は周辺の支配者たちをイスラームへと招く書簡を送っていました。そのうちの一つは、ローマ皇帝のヘラクリオスに送られました。ヘラクリオスはその手紙を最初から最後まで読みました。その時期にダマスカスに滞在していたアブー・スフィヤーンを呼び、二者の間では次のような対話がなされました。

「彼に従っているのは主にどのような人々ですか。富裕層ですか、貧困層ですか」

「貧困層です」

「彼を信じた後、教えを捨てた者はいますか」

「今までのところいません」

「彼らの数は増加していますか、減少していますか」

「毎日少しずつ増えています」

「彼はこれまで嘘をついたことがありますか」

「ありません。誰も彼が嘘をついたところを見たことはありません」

 そして、この手紙から受けた影響に加え、まだムスリムの無慈悲な敵であったアブー・スフィヤーンのこれらの答えに感銘したヘラクリオスは次のように言わずにはいられなかったのです。

「人がこれほど長い時間、人に対して嘘をついていないのであれば、神について嘘をつくわけがない」(ブハーリー、バドゥル-ワヒー 6)

 「私に六つの事柄について約束して欲しい。わたしもあなた方に天国を約束しよう。話す時には正しく話しなさい。約束した時にはそれを守りなさい。信託を裏切ってはいけない。両足の間を守りなさい。目を禁じられたものから守りなさい。手を、禁じられたものから遠ざけていなさい」(ムスナド 5/ 323)

 「誰であれ、その口や両足の間について保証するなら、私もその人に天国を保証しよう」(ブハーリー、リカーク 23・ティルミズィー、禁欲 61)

 アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は「あなた方に、大罪のうち最も重いものを教えようか」と言われました。そしてそれを三度繰り返されました。人々が「はい」と答えると、「アッラーに何ものかを配すること、両親を尊重しないこと、殺人を犯すことである」とおっしゃられました。その時には何かにもたれた状態でしたが地面に座られ、

「『あなた方に知らせておく。嘘の言葉、嘘の証言である』と言われ、それを何度も繰り返され、私たちは『もうそれでやめていただければ!』と願ったほどでした」(ブハーリー、シャハーダ 10・ムスリム、信仰 143)

 嘘と信仰は共に存在し得るか

 預言者の道を行く人々によるなら、大きな罪を犯した人は信仰を放棄し憎悪したことにはなりません。嘘をつく人は信者であり、不信心者ではありません。なぜなら信仰はそれを受け入れる決意によってなりたつものであり、行動は信仰からなる一部ではないからです。しかしそれは、犯した罪を合法なものだと見なしたり、軽視したり、見下したりしないことが条件となります。禁じられたものである罪、例えば嘘を合法なものであると見なすのであれば、-アッラーがお守りくださりますように-教えを放棄したことになるのです。

 「人が姦淫を犯すと信仰は彼から抜け出し、頭上に雲のように漂います。姦淫を終えると信仰はその人に戻ります」(アブー・ダーウード、スンナ 16・ティルミズィ、信仰 11)「姦淫を行なう人は、その最中は信者としてそれを行なっているのではありません。泥棒も、盗みを働いている間信者としてそれを行なっているのではありません。酒を飲む人は、飲んでいる間は信者としてそれを実践しているのではありません。人々にとって大切なものを信者として盗み取ることはない」のです(ブハーリー、マザリム 30・ムスリム、信仰 100)

 預言者の道をたどる人々である学者たちは、このハディースで言及されている信仰とは完全な意味での信仰であること、教えを否定しない限りは不信心者とはならないことを説いています。嘘をつく者もまた、完全な意味での真の信仰を持っているのではないことを明らかにしています。ただ、崇拝行為のどれ一つをも否定することなく、すべてを信じることがここでは必要となるのです。

 ムスリムは嘘と信仰が共存し得ないことを認識し、嘘を避け、真実の体現者とならなければならないのです。

日常生活における嘘

 嘘とは、ある事柄について真実の逆、反対を述べることです。そしてそれには非常に多くの段階があります。そのうちの一部は明らかな嘘です。

 例えば、目の前に赤い絨毯があるとして、『青い絨毯が敷かれている』ということは明らかな嘘です。そこで語っていることは真実とは合致していないからです。例えば、あと3分で9時になるところだとします。そこで誰かがあなたに何時かと尋ねたとして、あなたも『9時です』と答えました。これも一つの嘘です。ここで正しいとされるのは、あなたの時計が示している時刻をそのまま伝えることです。

 またいくつかは、秘められた嘘と見なされます。例えば、アッラーのご満悦を得るために行われた事業などにおいて、他者の精神的な力を強める目的で、時として誇張を交えて説明がなされることがあります。これは誇張であり、遠まわしの、秘められた嘘です。さらにこういった嘘や誇張は、真実の教えを守られるお方という神の特性に背くものであり得ます。それにより、その事柄に与えられていた恵みが完全に失われてしまうのです。さらに魂や霊的な被造物もまたそれに苦しみを覚えます。心の、そして魂の生命が、秋の訪れを迎えたかのように色あせていきます。もし人が、この種のものであろうと嘘をついているのであれば、その人には偽信者のしるしがあるということなのです。

 「信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。(常に)実直な言葉でものを言いなさい。かれはあなたがたのためにその行いを矯正され、諸々の罪を赦される」(部族連合章第70-71節)

 嘘は偽信者の特性か

 言葉として信仰告白の言葉、もしくはタウヒード(唯一神信仰)を宣言する言葉を唱えたのにも関わらず、その心ではその内容を認めておらず、信じてはいない人を偽信者と呼びます。

 偽信者はその言葉が本質と合致しておらず、異なる見掛けを持っていることから秘められた不信心者となり、決して信者でもイスラーム教徒でもありません。「また人びとの中、『わたしたちはアッラーを信じ、最後の(審判の)日を信じる。』と言う者がある。だがかれらは信者ではない」(雌牛章第8節)

 人々のうち、教えへの否定という観点からもっとも危険であるのは偽信者たちです。彼らは嘘をついているのであり、信仰は口だけのものであり、心からのものではありません。この世における利益もしくはそれに類するもののためにムスリムのように見せかけているのです。

 偽信者でありながらムスリムであるという人々の内面世界を探ることは適切ではありません。彼らの内面世界については確かな判断を下すことは私たちにはできず、また人の内面世界を探ることは禁じられているのです。従って彼らはこの世ではムスリムとして扱われ、その罰は来世に持ち越されるのです。

 「本当に偽信者たちは、火獄の最下の奈落に(陥ろう)。あなたはかれらのために、援助する者を見いだせない」(婦人章第145節)

 「四つの特性があり、これらがその人に見られるのであればその人は生粋の偽信者である。またこれらのうちの一つのみが見られるのであれば、その特性を捨てるまでは、その人には偽信者としての特性があるということを意味する。信託を裏切り、話す時には嘘をつき、約束した時にはそれを破る。敵意を抱いたり妬んだりした時には度を越す振舞いにでる」(ブハーリー、信仰 24・ムスリム、信仰 106)

嘘をつく者が記録され、心が暗くされること

 預言者(アッラーの祝福と平安がありますように)は次のように仰せられました。

「正しさは人を、アッラーがお慶びくださるような善へと導く。善も人を天国へと導く。人が真実を語り、真実を求めれば、アッラーの位階において忠実な者、真実を語る者として記される。嘘は人を分を弁えない振舞いへと導き、それは人を炎へ、地獄へと導く。人が嘘を語り嘘を探っていれば、アッラーの位階において嘘つきとして記される」(ブハーリー、徳 69、ムスリム、善 102-103)

 「しもべが嘘をつき続け、あるいは嘘をつく意志を持ち続けていれば、いつかその心に黒い点が表れる。そしてその点は大きくなっていき、心全体を真っ黒にしてしまう。結果としてアッラーの位階において嘘つきとして記録される」(ムワッタ、筆 18)


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