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イスラームにおける隣人関係

隣人や隣人関係は、この世紀にしばしばなおざりにされる重要な社会的価値です。ユダヤ教やキリスト教においてそうであるように、隣人の権利は、イスラーム教においても強調されています。この文章では、イスラームの教えに基づいて、隣人関係に関する重要ないくつかの点に注目してみましょう。

 隣人関係についてのイスラーム的観点への適切な理解のためには、イスラーム教の主な教条を細かく見ていくことが必要です。アラビア語でイスラームとは、語根である「サラーム」に由来します。それは平和、従順、服従を意味します。従って、イスラームの生き方の目標は、信仰によって、そして神への服従によって、来世かつ現世における平和を幸福を獲得することなのです。平和と、自分自身や集団、世界との調和が成就されることは、イスラームの教えの重要な目的です。イスラームは新しい宗教ではありません。次のクルアーンの章句によって示されるように、それは本質として、神が全ての預言者たちに啓示されたものと同じメッセージであり、導きなのです。

 言え、「わたしたちはアッラーを信じ、わたしたちに下されたものを信じ、またイブラーヒーム、イスマーイール、イスハーク、ヤアコーブおよび諸支族に下されたものを信じ、またムーサーとイーサーと(その他の)預言者たちに主から授かったものを信じます。わたしたちはかれら(預言者たち)の間に、どんな差別もしません。わたしたちは、只かれに服従、帰依します。」(イムラーン家章第84節)

 イスラームには二つの主要な源があります。啓示された神の言葉であるクルアーンと、預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ)の預言者としての言行集です。私たちが以下で述べる隣人関係の原則は、これら二つの主要な源に基づいたものです。

 イスラームにおいては、人々が互いに対し持っている権利は非常に重要であると見なされます。イスラームの教えによるなら、神は、他者の権利に関係があるものを除き、全ての罪を許されます。これらの権利はとても詳細に分類され、区分されています。家族の中での互いの権利、親類の権利、集団のメンバーの権利、そして隣人の権利がそこに含まれます。

イスラームにおける隣人の定義

アラビア語では、隣人という言葉(jaar)は、信仰する人、信仰を持たない人、同国人、外国人、友と敵、よく知らない人、親しい同郷人、あなたに対しよく振舞う人、あなたに害を与える日と、親戚とよそ者、家が近い人、遠い人双方について言及するものです。クルアーンの第4章、婦人章では、アッラーは私たちに次のように命じられています。

アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道づれの仲間や旅行者、およびあなたがたの右手が所有する者(に親切であれ)。アッラーは高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。(婦人章第36節)

 イスラームの伝統においては、隣人について三つの定義があります。ブハーリーの正当な伝承によって記録され、アリ・ウザーイとイブン・シハーブによって伝えられるところによると、隣人の定義とは、それぞれの方向(右、左、正面、後ろ)における40軒を指します。預言者(彼の上に祝福と平安あれ)の義理の息子で、第4代カリフでもあるアリーは、「礼拝への呼びかけの声が届く範囲は全て隣人である。」と言ったことが伝えられています。イスラーム学者の一部は、町または地区で共に暮らす人は皆隣人であると断言しています。この意見は、部族連合章と名づけられた章の言葉に基づくものです。(部族連合章第60節)

 イスラームの教えによると、最も親しい隣人とは、その人の配偶者です。その次に親しい隣人は、そのドアがあなたのドアに最も近い人です。これは、預言者の妻であられたアーイシャ様が尋ねた時に明らかにされたものです。

「アッラーの使徒よ、私には二人の隣人があります。どちらの方に贈り物をするべきでしょうか。」

 預言者様は言われました。

「ドアが、あなたのドアに最も近い人に。」

 イスラームの歴史家によるなら、この時、最も近い隣人はイスラーム教徒ではありませんでした。この預言者の言行により、隣人がイスラーム教徒かそうでないかは重要ではない、ということが明らかになります。さらにこのハディースからは、私たちは隣人に対し親切に接するだけでなく、贈り物をすることが奨励されていることが読み取れます。ここでの表現では、私たちが贈り物を交換する相手がイスラーム教徒であるかどうかは示されていません。

 隣人の概念は、あなたの家の近くの建物に住んでいる人、と定義されるわけではありません。寄宿舎でのルームメート、バスで、あるいはバス停であなたの隣に座った人などもまた、隣人とされます。またこのリストは、会社での同僚、公園であなたの隣で新鮮な空気を楽しんでいる人などにもその範囲を広げることができるでしょう。

隣人と彼らの権利の重要性

イスラームの教えによると、その人の隣人を傷つけるようなことを控えることは、信仰の一部です。預言者はしばしば、「アッラーと審判の日を信じるのであれば、これこれのことをしなさい。」と語られることによって、教えの重要な点を明らかにされました。アブー・フライラによって伝えられる次の言葉は、その方法によってメッセージを伝える有名なハディースの一つです。「神と最後の審判の日を信じる人は誰でも、彼の隣人を傷つけてはいけません。」

隣人関係の重要性を示す。アッラーの使徒のもう一つの重要な教えは、アナスによって伝えられます。「その手の中に私の魂があるお方に誓って言うが、人が自分を愛するのと同じように隣人を愛するようになるまでは、彼は本当の信仰を持ったとは言えない。」

 預言者は、私たちが隣人に対しよく振舞うことがイスラーム教徒であることの一部だと述べられたのです。アブー・フライラは伝えています。「神を畏れなさい。あなたは崇拝によって人々のうち最も優れた者となるだろう。自分の運命を受け入れなさい。あなたは最も感謝する者となるだろう。自分に接するように人々にも接しなさい。あなたは信者になるだろう。隣人に良く振舞いなさい。あなたはイスラーム教徒になるだろう。」

 隣人関係に関する別の重要な教えは、彼らがやんでいる時に彼らを訪ね、彼らが悲しんでいる時彼らを慰め、彼らが喜びのうちにある時は彼らを祝福すること、彼らの家を覗いたり、彼らが家に運び込もうとしているものをじろじろ見たり、女性たちを見つめたりしないこと、彼らが不在の時はその家族の面倒を見ること、彼らの間違いを許すことなどです。

隣人との良いつながり

隣人との良いつながりを持つことの重要性は、アブドゥラー・イブン・アムルによって伝えられる次のハディースのように、しばしば強調されています。

「神の観点において最良の友とは、彼の友にとって最良である人である。そして神の観点において最良の隣人とは、彼の隣人に対し最良である人である。」

 時に、隣人関係の非常に特定の面が注目されます。しかしこの奨励はここで終わるわけではありません。私たちは隣人と良いつながりを持つだけでなく、隣人に対し最初に良く振舞うことも奨励されています。例えば、隣人に最初にあいさつすることが勧められているのです。隣人への優しさは、常に基本として示されています。

イスラームにおいて、人がその隣人に対し良く振舞うということには、いくつかの行為を含みます。彼らを訪問すること、いつでも彼らに親切であること、 彼らが助けを必要とした時には彼らを助けることなどです。その奨励は、自分の子に何かを買う時は隣人の子にも似たようなものを買う、という点にまで及びます。もしそうすることができないのなら、自分の子に買ったものを隣人の子に見せることを思いとどまるのです。

アーイシャ様による伝承で、預言者ムハンマド様は述べられておられます。「ジブラーイールは、私が隣人に親切にすることを勧め続けました。私が、彼が自分を私の相続人にするよう求めるのでは、と思うまで。」アブダ・イブン・アリ・ルバダは伝えます。「隣人を傷つけるような行為は、些細なことを見なすことはできない。」

 私たちは、自分たちが持つものを隣人と共有しなければなりません。預言者様が次のように語られたことが、アブー・ダッルによって伝えられています。「あなたがシチューを作るときはいつでも、余分の水をそれに加えなさい。そしてあなたの隣人の一部に、親切にそれを与えなさい。」

 預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ)がその教えの最も重要なポイントをまとめられた、別れの巡礼の際の歴史的な説教において、預言者ムハンマド様は隣人について言及され、彼らの権利を強調しました。有名な教友であるアブー・ウマーマもまた、預言者が彼の隣人を相続人にするのかと考えました。「最後の巡礼の時、彼はメスのラクダに腰掛けられ、『私は、あなた方に、あなた方の隣人を良く扱うよう命じる。』と言われたのを聞きました。彼が自分の財産を隣人に与えられるのではないかと思ったほど、隣人への良い振舞いを強調されました。」

イスラームにおけるキリスト教徒・ユダヤ教徒の隣人

歴史は、キリスト教徒とユダヤ教徒に関する多くの証言を持っています。彼らはクルアーンで啓典の民と呼ばれ、イスラーム世界の多くの地域でイスラーム教徒と共に生きました。彼らの名誉、財産は保護され、信教も自由であり、良好な隣人関係を楽しんでいました。彼らの古い礼拝堂が今でも、山頂に近いイスラームの村々に存在します。そしてキリスト教徒やユダヤ教徒の隣人の幸福を守る、イスラーム社会に囲まれているのです。

 来世に移ろうとされていた頃、預言者様は述べられました。「私はあなたの信頼の中に、啓典の民、キリスト教徒とユダヤ教徒を置く。」

 ウマル様は、短剣による傷のため、死の危険に直面していた時、警告しています。「私はあなた方の信頼の中に、啓典の民、キリスト教徒とユダヤ教徒を置く。彼らに関し、いっそう神を畏れ、彼らに公正に振舞いなさい。」

 イスラームは、隣人の間の相互の愛情をひろげることを目標とします。人々がこれを達成でいるかもしれない手段はたくさんあります。あなたが満腹して眠る際、隣人が空腹のまま寝ていることはないと確信すること、贈り物を交換することなどが含まれます。隣人に対するイスラーム的な態度には、自分たち自身のために望むことを、自分の隣人のためにも望むことも含まれます。幸せや悲しみを共有することを含みます。

 それは彼らを見張ること、彼らのうわさをすること、どのような形であれ彼らを傷つけることを禁じます。その代わりに、彼らのプライバシーを尊重し、アパートの入り口や通りなど、共用する場所をきれいに保つことが奨励されます。預言者ムハンマド様は次のようにもおっしゃられました。「イスラーム教徒に、この世での幸福をもたらすものは、良き隣人と広い家、そして優秀な馬である。」

 私たちは、隣人に対するイスラーム教徒の態度、イスラームにおける隣人関係の重要性について若干の光を投じようと試みました。イスラームの伝統においてこのテーマは非常に豊かであり、関心を持つ読者には更なる研究を勧めます。健全な社会科、健全な隣人関係によってのみ、確立されることができます。教育は、隣人関係の正しい態度を、大人と同様に私たちの子供たちにもしみこまれるための鍵です。このテーマは、大学のセミナーや講義に適しているように、小学校の教室での議論にも適しているのです。贈り物や愛が集団で共有されなければいけないように、この花も、知識を通して全ての社会に与えられるべきものなのです。


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